Tsuyoshi Yoshiwara
Quick Facts
Biography
吉原 毅(よしわら つよし、1955年(昭和30年) - )は、日本の実業家。城南信用金庫相談役。原子力撤廃を標榜し、太陽光発電などによるクリーンエネルギーの導入を推進してきた。経営理念は「人を大切にする、思いやりを大切にする」「原発に頼らない安心できる社会へ」。
城南信用金庫の第三代理事長である小原鉄五郎の薫陶を受け、相互扶助のための協同組織金融機関である信用金庫の原点回帰を経営方針に掲げる。
来歴・人物
慶應義塾大学経済学部では加藤寛に師事し経済政策論や厚生経済学、井村喜代子からマルクス経済学、白井厚から社会主義思想を学び、卒業後も西部邁、小室直樹、渡部昇一などから社会思想を学ぶ。
企画部時代は小原鉄五郎から薫陶を受け、懸賞金付定期預金や民間版定額貯金、民間版住宅公庫ローン、乱数表付テレホンバンク、まんがディスクロなどの新商品を開発した他、金融制度調査会で預金保険機構限度額拡大、消費者専門部会の本則金利移行、金融リスク委員会でのALM理論発表などに携わる。また、小原の提唱した「貸すも親切、貸さぬも親切」「お金は麻薬」を踏まえ「お金の本質は自己幻想による妄想」「お金は人を孤独にし、道徳や倫理を崩壊させる」「お金は時に人の心を狂わせ暴走させる」「金融機関の使命はお金を健全にコントロールすること」「健全なコミュニティの中でこそ健全なマネーが流れる」などを持論とする。
2010年 、信用金庫の原点回帰を掲げて理事長に就任。理事長の年収を支店長以下の1200万円に抑え、任期を理事長・会長の通算で最長4年、停年を60歳とし、四権分立、逆さまのピラミッド、現場による経営計画などの異色の改革を断行したほか、東京電力から店舗で使う電気を購入することやめ、自然エネルギーなどを使う電力会社に切り替える施策を講じた。2015年6月の任期満了で理事長を退任し、相談役に退いた。
2011年7月2日の報道特集に、また同年7月5日には報道ステーションの「原発 私はこう思う」に出演した。また2012年8月9日には同番組にコメンテーターとして出演し経団連や同友会、日商が原発推進を提言したことを批判して「大企業は原発を買い取って運営できるのか」「原発は採算が合わないので即時ゼロ」と主張した。さらに2011年6月29日付朝日新聞朝刊にもインタビューが掲載されるなど、各種メディアへの露出や多く、小出裕章、明峯哲夫、田中優、落合恵子、広瀬隆などと共に、数多くのシンポジウムなどに参加し、論客としても名を馳せる。このほか最後のバンカーと称される三井住友銀行の西川善文名誉顧問はネット上で、吉原が主導した城南信金の脱原発宣言を『英断』と書いて絶賛した。2012年11月に城南総合研究所を創立し所長をつとめる。初代名誉所長に加藤寛、2代目名誉所長に小泉純一郎を迎え、全国での講演活動を行い「原発即時ゼロを決断すれば、自然エネルギーや新世代火力などのエネルギー革命により、日本経済は発展する」という主張を展開している。
またドラッカーやミンツバーグ、エドワード・デシ、ダニエル・ゴールマンなどの経営理論を背景に、グローバル資本主義や成果主義、攻めのガバナンス論などのアメリカ型経営を批判し、年功序列をグローバルスタンダードにすべしなど日本的経営の優位を主張して、フジテレビの報道2001などで持論を展開した。
NIFTYのFKINYU(金融プロフェッショナルフォーラム)創立に参加。議長として高橋洋一と郵貯問題や金融工学などについて議論していた。(ハンドルネームはよっしー)
略歴
- 1955年 - 東京都生まれ。
- 1973年 - 麻布高校卒業。
- 1977年 - 慶應義塾大学経済学部卒業。
- 同年 - 城南信用金庫入庫。
- 1983年 - 企画部配属となり小原鉄五郎会長の薫陶を受ける。
- 1992年 - 理事兼企画部長。
- 1996年 - 常務理事。
- 2000年 - 専務理事。
- 2006年 - 副理事長。
- 2010年 - 理事長。
- 2015年 - 相談役。
著書
- 『信用金庫の力――人をつなぐ、地域を守る』岩波書店、 2012年(平成24年)。ISBN 978-4002708508。
- 『城南信用金庫の「脱原発」宣言』クレヨンハウス、 2012年(平成24年)。ISBN 978-4861012242。
- 『原発ゼロで日本経済は再生する』角川学芸出版、2014年(平成26年)。ISBN 978-4046534255。