Torajirō Kojima
Quick Facts
Biography
児島 虎次郎(こじま とらじろう、1881年(明治14年)4月3日 – 1929年(昭和4年)3月8日)は、日本の洋画家。
経歴
岡山県川上郡下原村(現在の高梁市成羽町下原)に児島弥吉と雪の次男として生まれる。生家は「橋本屋」と称して旅館、仕出し業を営んでいた。1901年(明治34年)絵画を学ぶため東京に出る。1902年(明治35年)東京美術学校(現在の東京芸術大学)西洋画科選科に入学。倉敷の実業家大原家の奨学生となる。のち、大原家当主となった1歳年上の大原孫三郎とは生涯親交を持ち、経済的援助を受け続けた。1904年(明治37年)異例の早さで卒業。
1908年(明治41年)ヨーロッパに留学。1909年(明治42年)ベルギーのゲント美術アカデミーに入学。1912年(明治45年)には同校を首席で卒業し、大正元年となった同年11月に帰国。1913年(大正2年)石井十次の長女・友子と結婚。その後、絵画制作の傍ら中国・朝鮮を旅行。また、孫三郎の依頼を受け絵画買い付けのため数度ヨーロッパに渡りモネ、エル・グレコ、ゴーギャン、ロダンなどの作品を購入した。この収集品が後の大原美術館建設の礎となった。
1924年(大正13年)明治神宮奉賛会より明治天皇を讃える壁画の作成を依頼された。しかし病に倒れ、この作品を完成することなく1929年(昭和4年)死去した。享年47。なお、この壁画は友人の吉田苞により1934年(昭和9年)に完成し、明治神宮聖徳記念絵画館に所蔵されている。
1972年から2017年まで、倉敷紡績記念館(現倉敷アイビースクエア)内に、大原美術館別館として「児島虎次郎記念館」が開設されていた。2022年4月に新児島館(仮称)として旧中国銀行倉敷本町出張所建物に開館する予定。
主な作品
- 西洋婦人像(制作年不詳、油彩・カンヴァス、114.5×89.0 額寸133.0×107.7cm、東京芸術大学大学美術館蔵)
- 支倉常長像(制作年不詳、油彩・カンヴァス、81.8×66.7cm、東京芸術大学大学美術館蔵)
- 静物(草花)(制作年不詳、油彩・カンヴァス、神奈川県立近代美術館蔵)
- 漁夫(1905年、油彩・カンヴァス、96.0×129.0cm、東京芸術大学大学美術館蔵)
- 里の水車(1906年、大原美術館蔵)
- 登校(1906年、高梁市成羽美術館蔵)
- なさけの庭(1907年、宮内庁三の丸尚蔵館蔵) 石井十次が設立した岡山孤児院に取材。同年の東京府勧業博覧会へ出品され一等賞授賞、宮内庁買上の栄誉を受けた児島の出世作。
- 宵の灯(1907年、油彩・カンヴァス、53.0×41.0cm、倉敷市立美術館蔵)
- 裸婦素描(1910年、鉛筆・紙、8.0×30.0cm、岡山県立美術館蔵)
- 日本服を着たる白耳義の少女(1911年、油彩・カンヴァス、81.8×65.7cm、三重県立美術館蔵)
- 奈良東大寺(1916年、油彩・カンヴァス、66.2×54.0cm、岡山県立美術館蔵)
- ストックホルム(1922年、油彩・カンヴァス、57.7×67.5cm、茨城県立近代美術館蔵)
- 中山茂子像(1923年、油彩・カンヴァス、65.3×53.2cm、公益財団法人東京富士美術館)
- 酒津の庭(水連)(1924年–1928年頃、静岡県立美術館蔵)
- 水仙を持つ少女(1926年、162.0×113.8cm、岡山県立美術館蔵)
- 対露宣戦布告御前会議(未完、死後の1934年吉田苞により完成、明治神宮聖徳記念絵画館蔵)
作品画像
- (所蔵者名記載のないものは大原美術館蔵)
大原孫三郎像 1915年 個人蔵(大原美術館寄託)
自画像 ゲント美術館蔵
自画像 1917年頃
里の水車 1906年
化粧 1908年
ベゴニヤの畠 1910年
睡(ねむ)れる幼きモデル 1911年
朝顔 1916 - 1921年
アルハンブラ宮殿 1920年
脚注
- ^ 『大原美術館III 児島虎次郎』巻末年譜(頁付なし)
- ^ “児島虎次郎記念館が12月に閉館 旧中銀倉敷本町出張所に移転へ”. 山陽新聞. (2017年4月19日). http://www.sanyonews.jp/article/519686/1/ 2018年2月23日閲覧。
- ^ “大原美術館、22年春に新館 旧中銀出張所 虎次郎作品など陳列”. 山陽新聞. (2020年1月29日). https://www.sanyonews.jp/article/980122 2020年2月5日閲覧。
関連項目
- 高梁市成羽美術館
- 岡山県出身の人物一覧
- 東京芸術大学の人物一覧