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Japanese businessman and politician
Tani Junpei
The basics
Quick Facts
Intro
Japanese businessman and politician
Places
Gender
Male
Place of birth
Niikawa district, Ishikawa Prefecture, Japan
Age
84 years
The details (from wikipedia)
Biography
谷 順平(たに じゅんぺい、1836年12月21日(天保7年11月14日)- 1921年(大正10年)8月3日)は、明治から大正期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、富山県会議長、富山県下新川郡道下村長。幼名・義之助。
経歴
越中国新川郡仏田村(石川県新川郡仏田村、富山県下新川郡道下村を経て現魚津市)で、豪農・谷平兵衛の長男として生まれた。加賀藩士・沢田六左衛門、馬場春鴎に師事し漢学を修めた。1856年(安政3年)家督を相続し新川郡縄張役、仏田の肝煎役に就任。1872年(明治5年2月)金沢県新川郡第8区租税調役、1873年(明治6年)9月、第3大区副区長となる。その後、戸長、下新川郡書記を務めた。
1879年(明治12年)石川県会議員に当選し2期在任したが、1880年(明治13年)7月、病のため辞任。1888年(明治21年)3月、富山県会議員に選出され1892年(明治25年)6月まで在任し、この間、徴兵参事員となり、1890年(明治23年)同議長に就任した。1889年(明治22年)4月、初代道下村長となった。
1892年2月、第2回衆議院議員総選挙(富山県第2区、独立倶楽部)で当選し、1894年(明治27年)3月の第3回総選挙(富山県第2区、弥生倶楽部)では落選し、衆議院議員に1期在任した。政党は、北陸自由党、憲政党、立憲政友会に所属した。
実業界では、魚津銀行取締役、同監査役、富山県農工銀行取締役などを務めた。
親族
- 婿養子 谷欽太郎(衆議院議員、長女・寿意の夫)
脚注
- ^ 『富山大百科事典 下巻』182頁。
- ^ 『人事興信録 第4版』た49頁。
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』136頁。
- ^ 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』283頁。
- ^ 『明治肖像録』48頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』44頁。
- ^ 「谷欽太郎」『富山大百科事典 下巻』181頁。
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