Tamehiro Reizei
Quick Facts
Biography
冷泉 為広(れいぜい ためひろ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての公卿・歌人。権大納言・冷泉為富の子。官位は正二位・権大納言。上冷泉家6代当主。
経歴
文明9年(1477年)、従三位に叙位。文亀元年(1501年)に正二位に昇り、永正3年(1506年)に権大納言兼民部卿に至る。11代将軍・足利義澄の室町幕府・相伴衆を務め、永正5年(1508年)に義澄が将軍職を追われると、それに従って出家して宗清と号した。
能登国守護の能登畠山氏と最も親しく、能登に長らく在国し、同国で薨去したともいわれる。
歌人としては、『為広卿集』『為広詠草』などの歌集が伝わる。
文献における記載
『耳嚢』巻之一「為広塚の事」に以下の記述がある。
加賀・能登の境に、冷泉為広の歌塚といへる物有し由。左に記す。
季世尓残牟 為広塚加能 跡動無建碑
如斯にて歌に詠じ侍れば、
すゑの代に残さんがため広塚のあと動ぎなくたつる石ふみ
系譜
注記のないものは「御子左系図」『続群書類従』巻第148所収による。
- 父:冷泉為富
- 母:不詳
- 妻:丹波重長の娘
- 男子:冷泉為和(1486-1549)
- 男子:応猷
- 生母不明の子女
- 男子:尊俊
- 男子:孝我
- 女子:将軍家女房
脚注
- ^ 「御子左冷泉系図」『系図綜覧』第二所収、『諸家知譜拙記』
出典
- 根岸鎮衛 『耳嚢』全3冊 長谷川強校注、岩波書店〈岩波文庫〉、1991年。 - 江戸時代の随筆。冷泉為広についての逸話を収録。
関連項目
- 畠山家俊
- 畠山義総
- 津幡町
冷泉家6代当主 | |
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冷泉家6代当主 | |
上冷泉家 | 為相 - 為秀 - 為尹 - 為之 - 為富 - 為広 - 為和 - 為益 - 為満 - 為頼 - 為治 - 為清 - 為綱 - 為久 - 為村 - 為泰 - 為章 - 為則 - 為全 - 為理 - 為紀 - 為系 - 為臣 - 為任 - 為人 - |
下冷泉家 | 持為 - 政為 - 為孝 - 為豊 - 為純 - 為勝 - 為将 - 為景 - 為元 - 為経 - 為俊 - 宗家 - 為栄 - 為訓 - 為起 - 為行 - 為柔 - 為勇 - 為安 - 為弘 - |
上冷泉家 | 為相 - 為秀 - 為尹 - 為之 - 為富 - 為広 - 為和 - 為益 - 為満 - 為頼 - 為治 - 為清 - 為綱 - 為久 - 為村 - 為泰 - 為章 - 為則 - 為全 - 為理 - 為紀 - 為系 - 為臣 - 為任 - 為人 - |
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