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Japan
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Takeyuki Suzuki
Japanese television producer

Takeyuki Suzuki

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese television producer
Places
Place of birth
Tokyo, Japan
Age
79 years
The details (from wikipedia)

Biography

鈴木 武幸(すずき たけゆき、1945年1月26日 - )は、日本のテレビドラマ・映画プロデューサー。東映株式会社顧問兼テレビ事業部門エグゼクティブ・プロデューサー。東京都出身。

来歴・人物

大学卒業後、1968年東映に入社し、希望していたテレビ部に配属される。当時、テレビは映画に比べて低い扱いを受けていたこともあり、テレビ部を希望した時には人事部長から変わり者扱いを受けたと言う。鈴木自身はテレビ業界に入ったことについて「実家で兄がテレビを作っていたことから、幼少時から家にテレビがあり、それを食い入るように見る人々を見ながら育った為、テレビ関係の仕事に就きたいと思った」と述べている。

実写、アニメ作品問わずプロデュース作品は多岐にわたり、膨大。『がんばれ!!ロボコン』からは特撮作品にも関わりはじめ、なかでも15作品でプロデュースを手掛けたスーパー戦隊シリーズでは、何度か打ち切り寸前になるピンチもあったが、さまざまな趣向やアイデアを凝らすことで、その局面を乗り越えて長期シリーズに育て上げた。同シリーズについて、東映ヒーローネットの「想い出に残る戦隊シリーズのベストエピソードは?」という質問には、非常に悩んだ結果『電撃戦隊チェンジマン』の第53話「炎のアハメス!」を挙げていた。同エピソードは『チェンジマン』の最高視聴率16.1%を獲得している。また後輩の日笠淳プロデューサーが雑誌にて構想を語った「いずれ『秘密戦隊ゴレンジャー』から最新の戦隊まで全ての戦隊ヒーローが揃った映画を作りたい」というテーマについて、鈴木は「今の子供たちは『チェンジマン』なんて知らないだろうし、作ったってヒットするかどうか分からないから…」と否定的なニュアンスで語っていた。

スーパー戦隊シリーズの作劇方針としては、常にミニチェアを使った特撮が必要不可欠である事を持論としている。これは、近年CGを多様化した特撮が増えた事に「余りにもCGに頼りすぎるとリアリティーを感じなくなってしまう」と危機感を募らせているが故、「特撮をやらずにCGのみですますなら、アニメーションでやればいいので、俳優たちの芝居を含む実写映像に馴染むミニチェア特撮を捨てるという選択を私はしたくない」、「特撮は一日に数カットしか撮影できないことが多く、時間とお金がかかって大変ですが、出来上がりの〝手作り感″〝温もり感″が何といっても大切です。」と語っている。また、予算面ではミニチェア制作の他にロケバスの代金や弁当代等に多く使っていることを言及しており、「(スーパー戦隊シリーズは)大人向けのTVドラマよりもかなりお金がかかっている」と語っている。

『超力戦隊オーレンジャー』終了後の1996年以降、吉川進の後任としてテレビ第二営業推進部長に就任し、テレビ部の総責任者となる。以降は営業に専念していたが、スケジュールが苦しくなった『仮面ライダークウガ』では第13話から急遽プロデューサーを務めたほか、『特捜戦隊デカレンジャー』『魔法戦隊マジレンジャー』では制作総括として、塚田英明を補佐する形で戦隊に再び復帰した時期もあった。

その後も2003年10月にテレビ第二営業部長、2004年6月に取締役テレビ営業部門担当、2008年6月に常務取締役、翌月からテレビ管理部長を兼任。2010年6月に専務取締役、2014年6月からテレビ事業部門担当。2016年6月29日に取締役を退任し、顧問に就任。シリーズを問わず東映特撮路線を統括的な立場で見守り続けている。

『快傑ズバット』のスタッフクレジットに鈴木の名はないが、番組の企画書を最初に起こしたのは鈴木で、第1・2話のホン直しまではかかわっていたが、多忙の為、降板している。

よく組んだスタッフ

脚本家

  • 『がんばれ!!ロボコン』や『太陽戦隊サンバルカン』などで組んだ上原正三にはかなり信頼を置いていたらしく、だからこそ上原が宇宙刑事シリーズ執筆のために戦隊を離れるときは相当に悔しい思いをしたと後年雑誌のインタビューで語っている。
  • その後は上原に代わり戦隊のメインライターに就任した曽田博久と2人3脚でシリーズの繁栄を築いた。9作連続でメインを務めた曽田は鈴木について「真面目な方でしたよ。だから波長が合ったのかな。僕もライターとしては真面目ですからね」と語る一方、「そういう真面目な者同士が組んで作ると(…)いい意味でヌケた部分というのがなくなっちゃいましたね」とも話している。
  • その後は井上敏樹、杉村升にメインライターを託し戦隊シリーズを継続させた。井上を『鳥人戦隊ジェットマン』のメインライターとして起用しようとした際は「あんな生意気な奴に」とテレビ朝日の宇都宮恭三プロデューサーは反対してきたが、「井上君も悪い奴じゃないですから」と井上を囲んだ飲み会を企画することによりその反対を凌いだ事もある。
  • その他のライターでは長坂秀佳、高久進、藤井邦夫、鷺山京子、荒川稔久などを重用していた。『特捜最前線』でとあるエピソードを執筆する際に助言を求めてきた長坂に対し、アマチュア無線への造詣が深い鈴木は無線の知識を話すなどしてシナリオ作りをサポートしたこともあった。

監督

  • スーパー戦隊シリーズでは『超電子バイオマン』『電撃戦隊チェンジマン』を除いて東條昭平が全てメイン格の監督として登板している。また『チェンジマン』以降監督した長石多可男を『光戦隊マスクマン』以降4年連続メイン&パイロット監督として起用するなど、特にこの2人には信頼を置いていたようである。因みに鈴木と長石は同じ1945年1月生まれである。また長石と東條以外では山田稔と組むことも多かった。
  • 『科学戦隊ダイナマン』から『超新星フラッシュマン』まで戦隊の監督をした堀長文を起用したのは鈴木であった。『ダイナマン』のとき、最初は「なぜ僕が?」と思い一度は依頼を断わっている。「じゃあ、長石(長石多可男)君と一緒にやってもらいます」と鈴木から言われて依頼を受諾した。堀と長石は『Gメン'75』シリーズで同じ演出グループにいたため旧知の仲であった。長石の戦隊の参加は『チェンジマン』まで待つことになる。鈴木は堀を『バイオマン』から『フラッシュマン』まで3作続けてパイロット監督として起用している。
  • 『鳥人戦隊ジェットマン』でメインスタッフの刷新を試みたとき、鈴木は若手の雨宮慶太をメイン監督に起用することを決断する。後に雨宮が雑誌「宇宙船」インタビューで語ったことによると『地球戦隊ファイブマン』の視聴率不振から「戦隊はこれ(『ジェットマン』)が最後になるかもしれないから」と鈴木は不断の覚悟を持って依頼をしてきたという。ただ当時31歳の雨宮のパイロット起用については社内でも反対の声がいくつかあったため、鈴木はパイロット版以前に雨宮に何分かのショートフィルムを撮影させたり、第1話の絵コンテを全て書かせてそれを基に説得工作に務めるといった逸話が残っている。鈴木はこの時のスタッフ刷新について2011年のインタビューにおいて「一部のスタッフに『慣れ』と『マンネリ』を感じたんです。このままではいけないので新しい血を入れようと。旧スタッフには辛い決断でしたけど、後々のことを考えたらこの時の判断は間違っていなかった」と述懐している。
  • 雨宮は鈴木に「若手でも全然大丈夫ですよ」と助監督の監督昇進を度々進言したという。鈴木はどちらかといえば生え抜き助監督の監督昇進には慎重な態度をとる人間だったが、『恐竜戦隊ジュウレンジャー』にて当時26歳の渡辺勝也を監督として起用。これは当時として大胆な人事登用だった。また田﨑竜太のデビューは鈴木がプロデューサーとして最後に携わった『超力戦隊オーレンジャー』である。その後、渡辺と田﨑は東映特撮作品の中核を担う監督に成長している。

撮影監督

  • 殆どの作品において、いのくままさおがチーフとして携わった。戦隊シリーズもメインだった石橋英敏よりいのくまに交代させている。

キャラクターデザイナー

  • アニメ『闘将ダイモス』から付き合いのあった出渕裕を『科学戦隊ダイナマン』のキャラクターデザイナーに招聘した。実際は『大戦隊ゴーグルファイブ』の頃から声を掛けてはいたが、この時は出渕がスケジュールの都合で断っている。アニメーションのエッセンスを実写に取り入れた出渕のセンスは後の作品にも大きく影響を与えることになり、鈴木はその後『超新星フラッシュマン』まで4作品連続で出渕をメインで起用し続けている。鈴木は特に『超電子バイオマン』のシルバがお気に入りで、つい最近まで会社のパソコンの壁紙がシルバであったという。出渕は鈴木を東映初のオタクプロデューサーと称しており、出渕らを起用することで保守的になりがちな東映の社風に風穴を開けようとしていたと評している。
  • 現在東映特撮作品デザイナーの中核を担う篠原保を『高速戦隊ターボレンジャー』で初めてメインで起用したのも鈴木であった。鈴木はこの後、『地球戦隊ファイブマン』『恐竜戦隊ジュウレンジャー』『五星戦隊ダイレンジャー』『忍者戦隊カクレンジャー』でも篠原にデザインを発注している。

    主な作品

    実写作品

    ◎が付記されたものは東映側チーフプロデューサー作品。

    • がんばれ!!ロボコン(1975年-1977年)
    • アクマイザー3(1975年-1976年)
    • 超神ビビューン(1976年-1977年)
    • ロボット110番(1977年)
    • 冒険ファミリー ここは惑星0番地(1977年-1978年)
    • 生徒諸君!(1980年-1981年)◎
    • 太陽戦隊サンバルカン(1981年-1982年)
    • 大戦隊ゴーグルファイブ(1982年-1983年)◎
    • 科学戦隊ダイナマン(1983年-1984年)◎
    • 超電子バイオマン(1984年-1985年)◎  
    • 電撃戦隊チェンジマン(1985年-1986年)◎
    • 超新星フラッシュマン(1986年-1987年)◎
    • 光戦隊マスクマン(1987年-1988年)◎  
    • 超獣戦隊ライブマン(1988年-1989年)◎ 
    • 高速戦隊ターボレンジャー(1989年-1990年)◎  
    • 地球戦隊ファイブマン(1990年-1991年)◎
    • 鳥人戦隊ジェットマン(1991年-1992年)◎
    • 恐竜戦隊ジュウレンジャー(1992-1993年)◎
    • 五星戦隊ダイレンジャー(1993-1994年)◎
    • 忍者戦隊カクレンジャー(1994-1995年)
    • 超力戦隊オーレンジャー(1995-1996年)
    • 仮面ライダークウガ(2000-2001年)※第13話より参加
    • 特捜戦隊デカレンジャー(2004-2005年)※制作統括
    • 魔法戦隊マジレンジャー(2005-2006年)※制作統括
    • KAMEN RIDER DRAGON KNIGHT(2009年 - )※製作総指揮

    アニメ作品

    • 氷河戦士ガイスラッガー(1977年)◎
    • 闘将ダイモス(1978年-1979年)◎
    • 未来ロボダルタニアス(1979年-1980年)◎
    • サイボーグ009(1979年-1980年)◎
    • 闇の帝王 吸血鬼ドラキュラ(1980年)

    オリジナルビデオ

    • 前項に属する作品のビデオ化タイトルは除く。

    映画

    • 前項に属する作品の映画化は除く。
    • 仮面ライダー THE FIRST(2005年)※エグセブティブプロデューサー
    • 仮面ライダーTHE NEXT(2007年)※エグセブティブプロデューサー
    • パワーレンジャー(2017年)※製作総指揮

    その他

    特記の無いものを除き、いずれも日本語版監修として参加。

    • パワーレンジャー(テレビ朝日放送版)(1995-1996年)
    • パワーレンジャー・映画版(1996年)
    • パワーレンジャー(スーパーチャンネル放送版)(1999年)
    • パワーレンジャー・ターボ(1999-2000年)
    • パワーレンジャー・イン・スペース(2000-2001年)
    • パワーレンジャー・ロスト・ギャラクシー(2001-2002年)
    • パワーレンジャー・ライトスピード・レスキュー(2002-2003年)
    • ガンジス河でバタフライ(2007年)※「制作者」名義

    脚注


    The contents of this page are sourced from Wikipedia article. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
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