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Japan
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Takeo Ninomiya
Japanese politician

Takeo Ninomiya

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese politician
A.K.A.
Ninomiya Takeo
Places
Work field
Gender
Male
Place of birth
Yufu, Oita Prefecture, Japan
Age
71 years
Positions
member of the House of Representatives of Japan
member of the Ōita Prefectural Assembly
Takeo Ninomiya
The details (from wikipedia)

Biography

二宮 武夫(にのみや たけお、1911年(明治44年)12月18日 – 1983年(昭和58年)1月20日)は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。衆議院議員。旧姓・松田。

経歴

大分県大分郡石城川村高崎(挾間村、挾間町を経て現由布市挾間町高崎)で、松田克馬の三男として生まれる。1932年(昭和7年)大分県師範学校専攻科を卒業。大分県下の小中学校教員を務めた。この間に二宮家の養子となる。

戦後、組合運動に加わり、1948年(昭和23年)大分県教職員組合書記長、1949年(昭和24年)同教組執行委員長に就任。その他、憲法擁護大分県会長、バレーボール大分県協会会長などを務め、1951年(昭和26年)大分県議会議員に当選して3期在任し、大分県地方労働委員にも就任した。

県議在任中、1960年(昭和35年)11月、第29回衆議院議員総選挙に大分県第1区から日本社会党公認で出馬して初当選。第30回総選挙でも再選され、衆議院議員に連続2期在任した。この間、社会党中央本部会計監査、同高校全入対策特別副委員長、同地方財政対策委員会事務局長、同教育文化政策副委員長、同中央執行委員、同党大分県本部委員長、同顧問などを務めた。その後、第31回・第32回総選挙と、1968年(昭和43年)7月の第8回参議院議員通常選挙(大分県地方区)に立候補したがいずれも落選した。

その他、日中友好協会大分県会長、日朝協会の役職を務め、1971年(昭和46年)大分県労働金庫(現九州労働金庫)の理事長に就任した。

脚註

  1. ^ 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』468頁。
  2. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』474-475頁。
  3. ^ 『大分県歴史人物事典』377頁。
  4. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』377頁。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』378、529頁。
The contents of this page are sourced from Wikipedia article. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
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