Takashi Kii
Quick Facts
Biography
城井 崇(きい たかし、1973年6月23日 - )は、日本の政治家。学位は学士(京都大学・1998年)。
衆議院議員(2期)、文部科学大臣政務官を務めた。
来歴
生い立ち
福岡県北九州市門司区出身。北九州市立田野浦小学校、北九州市立早鞆中学校、福岡県立門司高等学校を卒業後、北九州予備校で2年間の浪人生活を経て、京都大学総合人間学部に進学。1998年に京大卒業後は松下政経塾に入塾し、3年間学んだ。2001年卒塾後、後に民主党代表となった衆議院議員・前原誠司の秘書を務めた。
衆議院議員
2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙では福岡10区から出馬。当時自由民主党に属していた自見庄三郎に敗れるが比例九州ブロックで復活し初当選した。
2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では自見が郵政民営化法案に反対し、自民党から公認を得られなかった。そしていわゆる「刺客」として西川京子が送り込まれた結果、三つ巴の厳しい選挙戦を強いられ自見ともども落選。落選後は党県組織の幹部として党勢の立て直しに努めつつ、国政復帰を目指して活動を続ける一方で、国民新党に入党した自見の支援を受けた。
2007年の北九州市長選挙では、党所属の衆議院議員だった北橋健治の市長当選に尽力。
2008年9月、過去2回と同じく福岡10区での公認が決定。北橋の選挙区だった市の西半分・9区の候補が1次公認を得られなかったという厳しい状況の中での公認獲得だった。翌年の第45回衆議院議員総選挙には、国民新党の推薦を受けて出馬。西川に雪辱を果たし、4年ぶりに衆議院議員に返り咲いた。初当選前のいきさつから一貫して前原グループに属しており、前原とは松下政経塾に於いても先輩・後輩の関係にある。
2011年、他の若手議員とともに党内グループメロスネットを結成し、世話人に就任した。野田内閣にて神本美恵子とともに文部科学大臣政務官に任命された。第46回衆議院議員総選挙を前にした内閣改造で退任、選挙では福岡10区で山本幸三に敗れ、比例復活ならず落選。
家族
2006年にTVQ九州放送のアナウンサーだった加治屋朋子と結婚。浪人中に生まれた娘と返り咲き後に生まれた息子が一人ずついる。
略歴
- 1973年 - 福岡県北九州市にて誕生。
- 1986年 - 北九州市立田野浦小学校卒業。
- 1989年 - 北九州市立早鞆中学校卒業。
- 1992年 - 福岡県立門司高等学校卒業。
- 1998年 - 京都大学総合人間学部卒業。
- 1998年 - 松下政経塾入塾。
- 2001年 - 松下政経塾卒塾。
- 2001年 - 前原誠司秘書。
- 2001年 - 民主党福岡県総支部連合会政策・広報担当。
- 2002年 - 民主党福岡県総支部連合会副代表。
- 2002年 - 民主党福岡県第10区総支部総支部長。
- 2003年 - 第43回衆議院議員総選挙当選。
- 2005年 - 第44回衆議院議員総選挙落選。
- 2009年 - 第45回衆議院議員総選挙当選。
- 2011年 - 文部科学大臣政務官。
- 2012年 - 第46回衆議院議員総選挙落選。
- 2014年 - 第47回衆議院議員総選挙落選。
政策・主張
- 選択的夫婦別姓制度導入に賛同
役職
- 民主党福岡県総支部連合会 代表代行
- 同県連 政策調査会長
- 民主党福岡県第10区総支部長
所蔵団体・議員連盟
- ホームエンタテイメント議員連盟
メディア出演等
- キーマンに問う!ポスト菅"の行方「BSフジ PRIME NEWS出演 2011年8月19日 20:00~22:00」
- 朝鮮学校の高校無償化適用への審査再開問題について「MSN産経ニュース記事 2011年10月24日」
- ICTプロジェクト 高校生熟議 in大阪 最終報告会「毎日jp記事 2011年11月18日」
- 国の教育行政は変われるのか[上・下]「学校事務記事 2012年4月号,5月号」
- 国の教育行政は本当に変われるのか[上・下]「月刊高校教育記事 2012年4月号,5月号」
- 教育政策の重心を量的拡大から質的向上に「政策研究Highlight 2012年6月号(Vol.7,No.13)」
- 東北市長会、医学部新設を文科省に要望「キャリアブレイン記事 2012年6月5日」
- 医学部新設などの特別決議を国に要望 東北市長会「河北新報社記事 2012年6月6日」
脚注
外部リンク
公職 | ||
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先代: 笠浩史・林久美子 | 文部科学大臣政務官 神本美恵子と共同 2011年 - 2012年 | 次代: 那谷屋正義・村井宗明 |
党職 | ||
先代: (結成により創設) | メロスネット世話人 2011年 - | 次代: (現職) |