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Bureaucracy and lyricist of Japan
Takada Yasuhiro
The basics
Quick Facts
Intro
Bureaucracy and lyricist of Japan
A.K.A.
Takada Kōho
Places
Gender
Male
Place of birth
Yonezawa, Yamagata, Japan
Star sign
Place of death
Nagasaki, Nagasaki Prefecture, Japan
Age
46 years
Education
University of Tokyo
The details (from wikipedia)
Biography
高田 休廣(たかだ やすひろ、1895年5月25日 - 1942年1月5日)は、昭和前期日本の官僚。高田 耕甫(たかだ こうほ)の筆名により「東京市歌」を作詞したことで知られる。山形県米沢市出身。
経歴
1895年(明治28年)、元会津藩士・高田休烈の五男として山形県米沢市に生まれる。 三兄は裁判官で、静岡地方裁判所浜松支部長等を歴任した高田豊。
1921年(大正10年)、東京帝国大学英法科を卒業し東京府庁に入庁。1923年(大正12年)、東京市懸賞公募の「東京市歌」(作曲:山田耕筰)で応募作が一等入選となるが、石川県警察部に出向していたため不在であった。
関東大震災の後に帰京、文部省に入省し学務局農業教育課長、社会教育局青年教育課長、資源局官房文書課長、宗教局長、督学官等を歴任する。1938年(昭和13年)に文部省を退官した後、1941年(昭和16年)に長崎高等商業学校の校長となるが1942年(昭和17年)1月5日に現地で急逝した。享年48(満46歳没)。1月7日付の贈位により、従四位に叙せられる。
著作
- 教育行政(自治行政叢書・第14巻。常磐書房、1934年) NCID BB1273769X - 小笠原豊光との共著。
出典・脚注
出典
- ^ 「故長崎高等商業学校長高田休広位階追陞ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11115180500
- ^ 人事興信録13版下, タ121
- ^ 東京朝日新聞、1923年6月24日付2面「大東京の市歌 けふ当選発表」。
- ^ 高西(1995), p503
注釈
- ^ 『東京のうた その心をもとめて』(朝日新聞社、1968年)p129では名前の読みを「よしひろ」としているが、存命時の東京朝日新聞記事では「やすひろ」と振り仮名が打たれているので本記事では後者に従う。
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