peoplepill id: taira-no-taketsuna
TNT
1 views today
1 views this week
Taira no Taketsuna

Taira no Taketsuna

The basics

Quick Facts

Gender
Male
Family
Children:
Chichibu Shigetsuna
The details (from wikipedia)

Biography

平 武綱(たいら の たけつな)は、平安時代後期の武将・豪族。秩父氏(秩父平氏)の当主で、秩父別当職にあった平武基の嫡男。平将門の玄孫。通称は武者十郎。秩父武綱、のち河崎基家とも称される。

略歴

前九年の役・後三年の役に加わり、源頼義・義家父子に従って戦った。『延慶本平家物語』『源威集』によれば、前九年の役の際、永承6年(1051年)、武蔵国府中に逗留していた源頼義から「奧先陣譜代ノ勇士」に選ばれ、白旗を賜ったという。

『源平盛衰記』によれば、後三年の役(1083 - 1087)で、武綱は、嫡子重家と共に、源義家の軍に300騎余を従え一番で参向し、勢揃坂から出陣し、先陣を務め、仙北金沢の柵(秋田県仙北郡金沢)を攻略し清原武衡らを滅ぼしたとしている。

その大功により名を河崎土佐守基家と賜り、武蔵谷盛庄を賜りました。

義家は、この勝利は基家の信奉する八幡神の加護なりと、基家が拝持する妙見山の日月旗を乞い求め、月旗をもってこの地に八幡宮を勧請したのが、現在の渋谷金王八幡宮である。

曾孫に畠山重忠、河越重頼、江戸重長、渋谷光重など、源頼朝の平家追討に協力した坂東武者がいる。特に畠山重忠は、頼義・義家の子孫である源頼朝の挙兵にあたり当初敵対し、のちに帰伏する際、「平家は一旦の恩、源氏は重代の恩」と述べて武綱の白旗・白弓袋を差し上げて頼朝の陣営に赴き、秩父一族の参陣を許した頼朝は、先祖の故事にならって重忠に先陣を命じている。

武綱は、秩父郡吉田郷の鶴ヶ窪台地に居城・秩父氏館(吉田城)を構えて、広大な秩父牧を支配した。

系譜

  • 父:平武基
  • 母:不詳
  • 正室:源有光長女
  • 生母不明
    • 男子:秩父重綱
    • 男子:渋谷重家
    • 女子:児玉経行室
    • 男子:平武時

脚注

  1. ^ 『姓氏』(監修:樋口清之/著者:丹羽基二、秋田書店)によると、崇神天皇の時代に国造に定められた知知夫彦命(ちちぶひこ の みこと)を初代とする、知々夫国造の末裔とする説もある。

関連項目

  • 勢揃坂 - 東京・原宿にある坂。平武綱はここから出陣したともいわれる。
The contents of this page are sourced from Wikipedia article. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
Lists
Taira no Taketsuna is in following lists
comments so far.
Comments
From our partners
Sponsored
Credits
References and sources
Taira no Taketsuna
arrow-left arrow-right instagram whatsapp myspace quora soundcloud spotify tumblr vk website youtube pandora tunein iheart itunes