Taichi Tanaka
Quick Facts
Biography
田中 太一(たなか たいち、1993年2月27日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、社会人野球のセガサミーに所属。
経歴
プロ入り前
大分県大分市出身。小学2年時に桃園スポーツ少年団で野球を始めた。中学時代は大分リトルシニアに所属し、3年時の春と夏に全国大会に出場。
大分工高では1年時から公式戦に登板。3年夏には、エースとして同校17年振りの甲子園出場に貢献。甲子園では、同校の初勝利を狙い延岡学園高と対戦したが、延長戦の末に惜敗。
2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議にて読売ジャイアンツから3位指名を受けた。背番号は68。
巨人時代
育成・強化指定選手に指名され、2011年は体づくりと技術向上に集中。シーズン後半にイースタンリーグで3試合に登板した。
2012年の秋季キャンプでは、投げた球が田畑一也コーチの顔面を直撃するアクシデントもあった。
2014年10月25日、球団から自由契約とすることが発表され、11月13日に育成選手契約を締結し、背番号は013へ変わった。
2016年に球速が最速155km/hを計測。7月末には1軍の全体練習に呼ばれシート打撃に登板した。支配下登録の候補にも名前が挙がったが昇格は見送られ、最終的にイースタンリーグで29試合に登板し、2勝4敗、防御率は4・36の成績を残した。同年10月2日、球団より戦力外通告を受けた。これに対し、「これからも野球をしたい。野球を続けていきたいです」と発言し、現役続行を希望した。
巨人退団後
当初は、11月12日に阪神甲子園球場で開催される12球団合同トライアウトを受験し、NPB他球団への移籍を目指す予定だったが、初芝清が監督を務める社会人野球のセガサミーからオファーを受け、トライアウトの予定をキャンセル。「目指すところが都市対抗野球になった。個人のことよりも、チームが勝って都市対抗に出て恩返ししたい」と決意を示した。その後背番号は14に決まった。
2017年の第88回都市対抗野球大会では中継ぎとして活躍したが、2回戦のJR西日本戦で、5-5の同点で迎えた8回から登板すると、9回に3失点を喫し敗戦投手となった。第43回社会人野球日本選手権大会は、関東代表選手権代表決定戦のJX-ENEOS戦で先発したが、3回1/3を投げて被安打9、自責点5と打ち込まれ敗戦投手となり、チームは予選敗退となった。
選手としての特徴
スリークォーターから投げられる最速157km/hの速球に高速カーブ、スライダーを織り交ぜ高い奪三振率を誇る。ただし本人によると、「太一カーブ」とも称される縦に大きく曲がる変化球は実際には縦のスライダーだという。2016年からはツーシームも新たな武器として実戦に取り入れている。
直球、ツーシームの速球系の球は全て打者の手元でわずかに動き、外国人投手のように「動くボール」でバットの芯を外す。
詳細情報
年度別投手成績
一軍公式戦出場なし
背番号
- 68 (2011年 - 2014年)
- 013 (2015年 - 2016年)
脚注
- ^ Yomiuri Giants Official Web Site
- ^ YoungPower『週刊ベースボール』2012年1月23日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌20444-1/23, 94-95頁。
- ^ 田中太一選手が自由契約巨人球団公式サイト2014年10月25日配信
- ^ “巨人16選手と来季契約結ばず 育成・田中太一投手「これからも野球をしたい」”.スポーツニッポン (2016年10月3日). 2016年12月7日閲覧。
- ^ “来季の契約について”.読売巨人軍公式サイト (2016年10月2日). 2016年10月3日閲覧。
- ^ “巨人16選手と来季契約結ばず 育成・田中太一投手「これからも野球をしたい」”.スポーツニッポン (2016年10月3日). 2016年12月7日閲覧。
- ^ “巨人戦力外の田中太、セガサミー入り「都市対抗に出て恩返ししたい」”.スポーツ報知 (2016年12月7日). 2016年12月7日閲覧。
- ^ “試合結果”.セガサミー硬式野球部公式サイト (2017年9月15日). 2017年11月22日閲覧。
- ^ “【巨人・イチオシ上昇株】田中太“魔球”ツーシームで再び支配下だ”.スポーツ報知 (2016年3月15日). 2016年12月7日閲覧。
- ^ “巨人16選手と来季契約結ばず 育成・田中太一投手「これからも野球をしたい」”.スポーツニッポン (2016年10月3日). 2016年12月7日閲覧。
関連項目
- 大分県出身の人物一覧
- 読売ジャイアンツの選手一覧