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Japan
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Sueo Masuzawa
Japanese jockey

Sueo Masuzawa

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese jockey
Places
Work field
Gender
Male
Place of birth
Hokkaidō, Hokkaidō Prefecture, Japan
Age
87 years
The details (from wikipedia)

Biography

増沢 末夫(ますざわ すえお、1937年10月20日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) に所属した騎手、調教師。騎手として全国リーディングジョッキー2回、八大競走7勝。通算2016勝は当時の中央競馬史上最多勝。44歳で初のリーディングジョッキー獲得、50代で年間100勝達成など中年期以降に顕著な活躍を示し「鉄人」の異名を取った。愛称は「まっさん」。

妻は師匠・鈴木勝太郎の長女。義弟に鈴木康弘がいる。

北海道亀田郡大野村(後の大野町、現・北斗市)出身。戸籍上の表記は増澤末夫である。

経歴

北海道大野村に6人兄妹の末っ子として生まれる。幼少期より農耕・ばんえい競走用のペルシュロンの世話をして過ごした。中学校卒業後騎手を志し、同級生の兄で騎手の竹部鈴雄(後に山田要一厩舎に所属した)より、函館競馬場を訪れていた調教師・鈴木勝太郎を紹介され、そのまま東京競馬場の鈴木厩舎に入門した。1955年より馬事公苑騎手養成長期課程を受講。同期生には矢野進、森安重勝、古賀一隆らがいる。

騎手時代

修了後に騎手免許を取得。1957年3月10日に騎手デビューし、同年7月14日に初勝利を挙げた。翌年には32勝を挙げ全国19位に付ける躍進を見せたが、デビュー以降しばらくは成績が安定せずランキングは昇降を繰り返した。

しかし1966年の東京優駿(日本ダービー)でアサデンコウに騎乗し優勝。重賞初勝利をダービーで果たすと、以降成績は上位で安定し、名実ともに関東のトップジョッキーのひとりとなった。1973年には公営・大井競馬から中央へ移籍してきたハイセイコーの主戦騎手となり、第一次競馬ブームの担い手となる。同馬の引退に際しては、増沢が歌うレコードシングル『さらばハイセイコー』が発売され、オリコン最高4位のヒットとなった。

1977年、40歳を迎えた増沢は74勝を挙げ、初の関東リーディングジョッキーとなる。さらに1981年には96勝を挙げ、44歳にして初の全国リーディングを獲得した。翌年には104勝で自身初の年間100勝を達成し、2年連続の全国リーディングジョッキーとなる。1984年10月14日には通算1340勝を達成し、野平祐二が保持していた中央競馬最多勝記録を更新。以降、増沢は「記録男」とも称されるようになり、1986年にはダイナガリバーに騎乗して2度目の日本ダービー優勝を果たし、史上最年長(48歳7か月)のダービージョッキーとなると、同年12月21日には中山競馬場で中央競馬史上初の通算1万回騎乗を達成。この日のメイン競走ではダイナガリバーで有馬記念にも優勝した。

翌1987年には競馬関係者として初めて皇室主催の園遊会に招待され、昭和天皇および皇太子明仁親王と競馬の景況について言葉を交わした。増沢はこの経験について、「自分は天皇賞には縁がなかったが、これ以上の栄誉はない」と語っている。

1990年には53歳で年間100勝を達成。そして翌1991年、自身の誕生日である10月20日に中央競馬史上初の通算2000勝を達成した。

以降も増沢は騎手を続けるつもりであったが、1989年に義弟の鈴木俊彦(調教助手)が落馬事故により死去していたこともあり、家族の反対に遭い引退を決断。この年の調教師試験申請書提出期限であった10月30日に騎手引退を発表し、翌1992年2月23日に引退した。

調教師時代

引退後は調教師に転身。1993年、美浦トレーニングセンターに厩舎を開業した。開業初年度に重賞を制覇するなど、さすがと思わせる一面も見られたが、調教師として中央競馬のGIを勝つことはできなかった。しかしながら、2005年にストロングブラッドで交流GI競走のかしわ記念を制している。1996年には騎手としての経験を見込まれ、競馬会より中央競馬初の女性騎手のひとり・牧原由貴子を託され厩舎所属騎手とした。牧原はのちに増沢の息子・真樹(調教助手)と結婚し、増沢由貴子となっている。

2008年2月29日付けで定年により調教師を引退し、競馬界の一線から退いた。調教師成績は3165戦279勝(うち地方58戦7勝)。

騎手としての特長

ダイナガリバーに騎乗(1986年)

スタートが抜群に巧く逃げ戦法を得意とし、素早くレースの主導権を握り、道中で巧くペースを落としての逃げ切りは「増沢マジック」とも評された。当時のファンの間では「増沢が4コーナーで後ろを振り向いた時は勝利を確信した時だ」とも言われ、また騎手の間でも「4コーナーで振り向いたら絶対勝つ、3コーナーで振り向いたら負ける」とされていた。自身も「どちらかというと先行馬が好き」としているが、その騎手生活のなかで最強馬として挙げているのは、追い込み馬として鳴らしたイシノヒカルである。

またこうした特長から、小回りコースが多く先行策が有利とされるローカル開催での活躍も目立ち、「ローカル男」とも呼ばれ、とくに福島競馬場は「増沢の庭」と呼ばれるほどの圧倒的な強さを誇った。同場では通算勝ち星のほぼ3分の1にあたる671勝を挙げており、増沢が乗るだけで騎乗馬のオッズが下がるという現象も見られた。

自身も認める遅咲きの騎手であり、一般に騎手が引退を始める40歳で関東リーディングを獲得し、以降の13年間で通算勝利の過半数にあたる1259勝を挙げた。この時期は引退年以外はすべて関東リーディング3位以内、全国リーディング5位以内を保っていた。

このように第一線で長く続けられた理由として、小柄で比較的減量苦がなかったこと、落馬による大きな怪我がなかったことなどが挙げられる。また、増沢はダイナガリバーでのダービー、有馬記念制覇に触れ、前者は「(48歳という年齢に対して)『まだ安心して頼める』という信頼を得た」、後者については「名勝負を残せたことで、増沢健在を内外にアピールできた。この1勝は500勝にも相当する」と語り、年齢で敬遠されることによる騎乗数の減少、騎乗馬のレベル低下を避けられたことも挙げている。

通算成績

騎手成績

区分1着2着3着4着以下騎乗数勝率連対率備考
1957年平地3664055.055.164
1958年平地324442198316.101.241
1959年平地382637185286.133.224
1960年平地143127155227.062.198
1961年平地292618136209.139.263通算100勝達成(8月13日)
1962年平地253844207314.080.201
1963年平地103027176243.041.165
1964年平地373833179287.129.261
1965年平地364133177287.125.261
1966年平地605046177333.180.330
1967年平地484940191328.146.296
1968年平地535146205355.149.293
1969年平地574439296436.131.232
1970年平地463434196310.148.258
1971年平地484352155298.161.305通算500勝達成(6月5日)
1972年平地443026168268.164.276
1973年平地363125121213.169.315
1974年平地383024113205.185.332
1975年平地484635147276.174.341
1976年平地562931219335.167.254
1977年平地745339196362.204.351関東リーディングジョッキー(全国2位)
1978年平地443832149263.167.321
1979年平地464333185307.150.290
1980年平地645830242394.162.310関東リーディングジョッキー(全国2位)
1981年平地966059229444.216.351通算1000勝達成(3月21日・史上5人目)
全国リーディングジョッキー
1982年平地1049071283548.190.354全国リーディングジョッキー
1983年平地897962292522.170.322関東リーディングジョッキー(全国3位)
1984年平地886673313540.163.285中央競馬通算最多1340勝達成(10月14日)
関東リーディングジョッキー(全国2位)
1985年平地828050286498.165.325
1986年平地1065758315536.198.304通算10000回騎乗達成(12月21日・史上初)
関東リーディングジョッキー(全国2位)
1987年平地999360331583.170.329通算1500勝達成(7月20日・史上初)
1988年平地918167337576.158.298
1989年平地866652380518.166.293
1990年平地1006951344564.177.300
1991年平地876049300496.175.296通算2000勝達成(10月20日・史上初)
1992年平地3862138.079.289
総計平地2,0161,7191,4577,58812,780.158.292
  • 初騎乗 1957年3月10日 カクエイ(10着)
  • 初勝利 1957年7月14日 ワンスター

主な騎乗馬

括弧内は増沢騎乗による優勝重賞競走。太字はGI級競走(安田記念、スプリンターズステークス除く)。

  • アサデンコウ(1967年東京優駿
  • ハクセンショウ(1968年福島記念、新潟記念 1969年金鯱賞)
  • タマミ(1971年京王杯スプリングハンデキャップ)
  • トウショウピット(1971年クモハタ記念、1972年中山記念)
  • イシノヒカル(1972年菊花賞有馬記念
  • ハイセイコー(1973年皐月賞、弥生賞、NHK杯 1974年宝塚記念、中山記念、高松宮杯)
  • トーヨーアサヒ(1973年日本経済賞、ステイヤーズステークス)
  • メイワキミコ(1977年スプリンターズステークス 1978年スプリンターズステークス)
  • ハワイアンイメージ(1980年皐月賞、日本短波賞、福島記念)
  • キヨヒダカ(1983年新潟大賞典、安田記念)
  • スイートカーソン(1983年オールカマー、福島記念)
  • ダイナガリバー(1986年東京優駿有馬記念、共同通信杯4歳ステークス)
  • ダイナフェアリー(1986年京成杯 1987年エプソムカップ、新潟記念、オールカマー)
  • アイランドゴッデス(1986年関屋記念、京王杯オータムハンデキャップ)
  • コーセイ(1986年テレビ東京賞3歳牝馬ステークス 1987年報知杯4歳牝馬特別 1988年七夕賞)
  • フリートーク(1988年フラワーカップ、クイーンステークス)
  • ユキノサンライズ(1990年フラワーカップ 1991年中山牝馬ステークス、中山記念)
  • ダイナマイトダディ(1991年京成杯)
  • オグリキャップ(勝利はなし)

調教師成績

区分1着2着3着4着以下出走数勝率連対率
1993年平地7624863.111.206
障害11068.125.250
8725471.113.211
1994年平地5766987.057.138
1995年平地16179128170.094.194
障害20248.250.250
181711134178.101.197
1996年平地161611137180.089.178
障害00011.000.000
161611138181.088.177
1997年平地161817151202.079.168
障害01089.000.111
161917159211.076.166
1998年平地18710131166.108.151
障害00055.000.000
18710136171.105.146
1999年平地151116170212.071.123
障害22059.222.444
171316175221.077.142
2000年平地181816167219.082.164
障害3221017.176.294
212018177236.089.174
2001年平地182029177244.074.156
障害0101011.000.091
182129187255.070.153
2002年平地231115224273.084.125
障害00011.000.000
231115225274.084.124
2003年平地261820158225.117.195
障害00099.000.000
261820167234.111.188
2004年平地201816198252.079.151
障害00022.000.000
201816200254.079.150
2005年平地261922158225.116.200
障害10179.111.111
271923165234.115.196
2006年平地131013159195.067.118
障害3111015.200.267
161114169210.076.128
2007年平地181920151208.087.178
障害1211923.043.130
192121170231.082.173
2008年平地4433344.091.182
障害00022.000.000
4433546.087.174
平地2592192252,2752,978.087.161
障害1310799129.101.178
総計2722292322,3743,107.088.161
  • 初出走 1993年3月6日 トモエリージェント(2着)
  • 初勝利 1993年4月4日 トモエリージェント

主な管理馬

  • トモエリージェント(1993年ダービー卿チャレンジトロフィー)
  • ダイワテキサス(1998年オールカマー、中山記念 2000年中山記念、関屋記念)
  • ダイワカーソン(1999年京王杯3歳ステークス)
  • チアズニューパワー(2000年新潟ジャンプステークス)
  • レイズスズラン(2000年さきたま杯、2001年浦和記念、2002年さきたま杯)
  • ストロングブラッド(2003年カブトヤマ記念、さくらんぼ記念 2004年群馬記念 2005年かしわ記念
  • ダイワバンディット(2003年新潟2歳ステークス)
  • ダイワパッション(2005年フェアリーステークス 2006年フィリーズレビュー)
  • ユキノサンロイヤル(2005年日経賞)
  • ストームセイコー(2006年新潟ジャンプステークス)


主な厩舎所属者

※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。

  • 増沢由貴子(1996年-2000年、2003年-2008年 騎手)
  • 牧光二(1998年 厩務員)
  • 大沢辰也(2001年-2002年 騎手)

作品

  • さらばハイセイコー(1975年1月1日、45万枚、または54万8000枚)
    • 作詞:小坂巖、山田孝雄、作曲:猪俣公章
    • ※2000年8月23日『さらばハイセイコー 完全追悼盤』も発売。
  • ハイセイコーよ元気かい(1975年4月1日、14万枚)
    • 作詞:寺山修司、作曲:猪俣公章
  • いななけカツラノハイセイコ(1979年、7万枚)
  • 『鉄人ジョッキーと呼ばれて-我が愛しの馬上人生』(1992年 学研 ISBN 4051064212)

    TV出演

    • お笑い頭の体操(TBS)
    • 夜のヒットスタジオ(フジテレビ)

    脚注

    参考文献

    • 増沢末夫『鉄人ジョッキーと呼ばれて-我が愛しの馬上人生』(1992年、学研)
    • 日本中央競馬会『優駿』2007年7月号、137-140頁 江面弘也「名ジョッキー列伝 - 増沢末夫」

    関連項目

    • 加賀武見 - 同年生まれの騎手。増沢がライバル視していた。
    • 中舘英二 - 1984年にデビューした騎手。逃げ得意、ローカル得意など増沢と同様の特徴から「増沢2世」と呼ばれた。
    • 武邦彦 - 同年デビュー騎手。
    • 中央競馬通算1000勝以上の騎手・調教師一覧

    外部リンク

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