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Japan
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Sonshin-hosshinnō
Japanese princely priest in the Edo period

Sonshin-hosshinnō

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese princely priest in the Edo period
A.K.A.
Sonshin Hosshinnō Princely Priest Sonshin
Places
Work field
Gender
Male
Age
80 years
The details (from wikipedia)

Biography

尊真法親王尊眞法親王・そうしんほうしんのう、寛保4年1月19日(1744年3月3日) - 文政7年3月17日(1824年4月16日))は、江戸時代後期の法親王。伏見宮貞建親王の第四皇子で、母は家女房の岡本応子。幼名は雄香宮(おかのみや)、後に喜久宮。諱は成輔。字は良璠。正式な出家が親王宣下後であるため、入道親王とする表記もある。

生涯

延享3年(1747年)10月に桜町天皇と姉小路定子(開明門院)の養子になる。当初は一乗院に入る予定であったが、宝暦2年(1752年)になって勅命によって一乗院から連れ戻されて青蓮院を継承し、同年12月に親王宣下を受けた。翌宝暦3年(1753年)に出家、宝暦12年(1762年)に一身阿闍梨となる。

明和元年(1764年)に天台座主に補任され、以降4度にわたって座主を務める。また、同年には二品親王となる。天明5年(1785年)12月に一品親王に叙される。天明7年(1787年)に牛車宣旨を受ける。文化13年閏8月13日(1816年10月4日)に准三宮となる。文政5年(1822年)に老齢のために宮中で杖を用いることを許された。文政7年(1824年)に81歳で逝去。諡号は施無畏王院。墓地は善峯寺内にある青蓮院宮墓地。

書道に優れており、『入木道十七条之口決』・『入木抄口決』などの著作がある。

脚注

  1. ^ 是澤「尊真法親王」『日本人名大事典』第3巻
  2. ^ 「尊真親王」『国書人名辞典 3』
  3. ^ 「尊真入道親王」『日本人名大辞典』
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