Shūzō Koyama
Quick Facts
Biography
小山 修三(こやま しゅうぞう、1939年3月24日 - )は、日本の文化人類学者・考古学者。専門は、民族学(オーストラリア・アボリジニ)、考古学(縄文時代)。国立民族学博物館名誉教授。
来歴・人物
香川県観音寺市出身。国際基督教大学教養部卒業。のちの漫画評論家・小野耕世は大学時代の親友。
國學院大學大学院文学研究科日本史専攻修士課程・カリフォルニア大学博士課程修了。
1976年(昭和51年)「Jomon Subsistence and Population」で学位修得( カリフォルニア大学デービス校)。
カリフォルニア大学特別研究員を経て、1976年(昭和51年)国立民族学博物館助教授に就任。1996年(平成8年)同館第四研究部長に昇任、民族学研究開発センター長を兼任。オーストラリア・アボリジニを中心にフィールドワークを進めた著書や縄文時代に関する研究の著書に評価が高い。1960年代後半から1970年代にアメリカで盛んになったプロセス考古学の影響が強く、民族学(文化人類学)と考古学の接点が深いアメリカの手法を積極的に取り入れ実践している。ただし、国内の伝統的な考古学者からの批判もある。川や海に面している縄文遺跡の規模、出土する貝塚や、保存されていたドングリなどから、人口と面積の関係、つまり人口扶養能力(環境収量力)をコンピューターで解析。堅果類や魚介類、あるいは動物の分布などをマトリックスにして重ねて、土地がもつ人口扶養能力(環境収量力)を詳細に分析を行った。2002年(平成14年)3月に同館定年退官。
2004年(平成16年)6月に吹田市立博物館館長に就任。同館では特別展の企画運営を中心に市民参加を積極的に進め、2006年(平成18年)春の「千里ニュータウン展」、2007年(平成19年)秋の「'07EXPO'70-わたしと万博」は多数の来館者を集め、市民企画の新しい博物館のあり方を示した。飾らない人柄で吹田市民からは「カンチョー」と呼ばれ親しまれた。同館在任中、しばしば自ら「すいはく(吹田市立博物館)のトム・クルーズ」と名乗っていた。2012年(平成24年)5月に同館退任。2013年(平成25年)千里文化財団理事長に就任。
略歴
- 1964年 - 国際基督教大学教養学部人文科学科卒業
- 1968年 - 國學院大學大学院文学研究科日本史学専攻修士課程修了
- 1971年 - 國學院大學大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得退学
- 1976年 - カリフォルニア大学デイビス校大学院人類学部博士課程修了
- 1976年 - 国立民族学博物館第四研究部助教授
- 1991年 - 国立民族学博物館第四研究部教授
- 1998年 - 国立民族学博物館民族学研究開発センター教授
- 2000年 - 国立民族学博物館民族社会研究部教授
- 2002年 - 総合研究大学院大学名誉教授
- 2002年 - 国立民族学博物館名誉教授
- 2004年 - 吹田市立博物館館長
受賞歴
- 1983年 - 日本生活学会研究奨励賞
- 1985年 - 樋口博士記念賞
- 1993年 - 大同生命地域研究奨励賞
主著
単著
- 縄文時代コンピューター―考古学による復元―(中央公論新社・中公新書、1984年・中公文庫、1998年)
- 縄文探検(くもん出版、1990年)
- 狩人の大地―オーストラリア・アボリジニ―(雄山閣出版、1992年)
- 縄文の子どもたち(朝日新聞社、1994年)
- 縄文学への道(NHKブックス、1996年)
- 美と楽の縄文人(扶桑社、1999年)
- 森と生きる―対立と共存のかたち―(山川出版社、2002年)
共著
- 縄文鼎談三内丸山の世界(岡田康博との共著・山川出版社、1996年)
- 縄文人がおもしろい(岡田康博との共著・日本能率協会マネジメントセンター、1997年)
- 人はなぜ花を愛でるのか(八坂書房、2007年)
編著
- 現代日本文化の伝統と受容7 日本人にとっての外国(ドメス出版、1991年)
- 狩猟と漁労日本文化の源流をさぐる(雄山閣出版、1992年)
- 世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド(農分協、2004年)
- 梅棹忠夫 語る(日経プレミアシリーズ、2010年)
共編著
- 多文化国家の先住民-オーストラリア・アボリジニの現在-(窪田幸子と共編著・世界思想社、2002年)
- 梅棹忠夫に挑む(石毛直道との共編・中央公論新社、2008年)
脚注
関連人物・項目
- 梅棹忠夫
- 石毛直道
- 佐原真
- 小松左京
- トム・クルーズ
- TBS「いのちの響」