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Shioya Masafusa
The details (from wikipedia)

Biography

塩谷 奉正(しおのや ともまさ)は、江戸時代の武士。

生涯

略歴

塩谷義通流塩谷氏の六代目。塩谷明正の嫡男として生まれる。

江戸幕府の御家人として、寛延3年(1750年)12月16日御勘定に列し、宝暦2年(1752年)2月12日に検地のために関東諸国を回った。宝暦7年(1757年)10月8日に家督を継ぎ、翌年の7月2日には関東及び甲斐、美濃、伊勢等の河川の普請に従事し、この功により時服2枚、黄金2枚を賜った。

寛政7年(1795年)4月14日、老身を理由に引退して小普請となり、同年5月17日に没した。享年77。

跡継ぎを巡って

天明6年(1786年)に嫡男正房が33歳という若さで奉正に先立って没すると、正房の遺児である鉄之丞を養子とするが、鉄之丞も間もなく病死した。次男正住は病者のために家督を継げず、三男正英(鈴木正誼)は既に養子に出しており、家督を継ぐ者がなくなった。

奉正は弟の正澄の娘や嫡男正房の妻の父中村孝邦の娘(正房室の妹)を養女としており、正房が亡くなった後は正房の娘も養女としていた。正房の死から2年後の天明8年(1788年)、養女としていた正房の娘おかねの婿として、鳥見役粟津家の粟津清喬の次男(庶子)を養子に迎えて跡継ぎとした。塩谷正義(塩谷大四郎)である。

脚注

  1. ^ 勝海舟の高祖父。
  2. ^ まさをり、時之丞。系譜には『病者たるにより嗣たらず』とあり。
  3. ^ 弟である塩谷正澄の娘。経緯は不明だが、奉正の養女となり、安藤正堅の妻となった。
  4. ^ 中村浅右衛門孝邦の娘。経緯は不明だが奉正の養女となった。
  5. ^ 義兄正房の長女。
  6. ^ 始め正英。備前守、捨五郎、九郎右衛門。鈴木三次郎正昌の養子となり、京都仙洞御所付となる。
  7. ^ 系図にも『某』とあり、名は不明。
  8. ^ 系図の表記に従う。病弱なのか、障害があったものか、精神的なものかは不明。
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