peoplepill id: shibata-yasunaga
Shibata Yasunaga
The basics
Quick Facts
The details (from wikipedia)
Biography
柴田 康長(しばた やすなが)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・旗本寄合。柴田七九郎康忠の子。通称、父と同じ七九郎を継ぐ。官位は従五位下・筑後守。
略歴
父の康忠が数えで50歳の時の息子である。
慶長5年(1600年)第二次上田合戦では本多正信隊に属して従軍。慶長9年(1604年)、火の番頭となる。文禄2年(1593年)に父・康忠が没し、慶長18年(1613年)家臣の不祥事により改易となり、下野国足利に住む。しかし、大坂の陣に従軍し、伊達政宗隊に属した。
元和9年(1623年)に赦され、寛永元年(1624年)、武蔵国大谷領(現・上尾市、さいたま市北区)3000石を賜り、向山村(現・上尾市向山・向山神明社境内付近)に陣屋を置く。翌年徒頭となり、寛永3年(1626年)書院組頭となる。寛永10年(1633年)上総国長柄郡において700石加増される。同年小姓組番頭となり、寛永13年(1636年)、書院番頭となるも領地にて没する。墓所は今泉村(現・上尾市)の十連寺。
その後、康久、康利と続き、元禄11年(1698年)康利の代に丹波国に移封された。
The contents of this page are sourced from Wikipedia article.
The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
Lists
Shibata Yasunaga is in following lists
comments so far.
Comments
Credits
References and sources
Shibata Yasunaga