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Japanese journalist
Senda Gunnosuke
The basics
Quick Facts
Intro
Japanese journalist
Places
Work field
Gender
Male
Star sign
Age
57 years
Positions
member of the House of Representatives of Japan
The details (from wikipedia)
Biography
千田 軍之助(せんだ ぐんのすけ、安政3年2月11日(1856年3月17日) – 大正3年(1914年)3月2日)は、衆議院議員(自由党→憲政党→立憲政友会)、ジャーナリスト。
経歴
紀伊国那賀郡南志野村(現在の和歌山県紀の川市)の郷士の家に生まれた。1874年(明治7年)、副戸長となり、第三大区第二小区会議所に勤務した。1876年(明治9年)、地租改正にあたって県令神山郡廉に地価の不当を訴えたが、容れられなかったため副戸長を辞した。その後、児玉庄右衛門(児玉仲児の父)らとともに自由民権運動を展開したため、投獄された。これに対し数百の民衆が彼らを奪還しようと蜂起したため、神山は大阪鎮台に出兵を乞う事態となった(粉河騒動)。この際に取調べ時の態度に感じ入った神山は、千田を釈放した翌日に県の学務課長に抜擢した。1878年(明治11年)に辞職したが、1884年(明治17年)に官房主事として起用された。1886年(明治19年)に官を辞して、同志会という政社を結成し、後には板垣退助の自由党に参加した。この頃、陸奥宗光が欧化主義を唱えると、和歌山に「紀陽新聞」を発刊して主筆として反対の論陣を張った。
1894年(明治27年)、第3回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。通算で4期務めた。その間、1899年(明治32年)に政府が地租を2.5%から4%に引き上げる増税案を提出すると反対派の中心となり、引き揚げ幅を3.3%に抑えさせた。また1909年(明治42年)に政府が非常特別税の恒久化を図ると、民力休養を唱えて反対し、税率を5.5%から4.7%に引き下げさせた。また穀物輸入税率案を提出して農業保護を図った。
脚注
- ^ 衆議院事務局『第一回乃至第十九回総選挙 衆議院議員略歴』、1936年
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