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مهندس معماري ياباني
Satachi Shichijirō
The basics
Quick Facts
Intro
مهندس معماري ياباني
Places
was
Work field
Gender
Male
Age
65 years
The details (from wikipedia)
Biography
佐立 七次郎(さたち しちじろう)は、明治時代に活躍した建築家。工手学校(現工学院大学)造家学科教員。
経歴
- 1856年(安政3年)讃岐藩士の子として高松市に生まれる。
- 1873年(明治6年)8月 工学寮に入学する
- 1879年(明治12年)11月 工部大学校造家学科を卒業(同期に辰野金吾、曾禰達蔵、片山東熊がいる)。工部省技手となり、営繕局勤務上野博物館建築掛を命じられる
- 1880年(明治13年)10月 鉱山局勤務となり、秋田県院内鉱山建築掛を命じられる
- 1882年(明治15年)4月 会計検査院建築掛を命じられ、設計・監督を担当する
- 1883年(明治16年)7月 海軍省に転任し、横須賀鎮守府造船所在勤建築課員営繕掛となり、学舎教授掛兼務を命じられる
- 1884年(明治17年)5月 依願免官となり、藤田組(現フジタ)に入る
- 1887年(明治20年)2月 逓信省に入り、逓信技師に任じられる。工学士の称号を認可される。
- 1888年(明治21年)郵便及び電信局舎建築法研究のため、欧米へ出張し、翌年帰国。
- 1891年(明治24年)10月 逓信省を辞し、建築設計事務所を開設する
- 1897年(明治30年)頃 日本郵船株式会社の建築顧問となる。
- 1912年(大正1年)12月 退社し、自宅で静養する
- 1922年(大正11年)11月 逝去(享年67)。遺言により、遺体は慶應病院において解剖される
主な作品
- 会計検査院(1885年、現存しない)
- 名古屋郵便局(1890年、現存しない)
- 東京九段郵便局(1891年、現存しない)
- 日本水準原点標庫(1891年、東京都千代田区、現在も公的建造物としての機能を有する)
- 大阪中央郵便局(1892年、現存しない)
- 東京株式取引所事務所立会所(1896年、現存しない)
- 旧日本郵船小樽支店(1906年、北海道小樽市、重要文化財)
家族・親族
子の佐立忠雄(1886年 - 1952年)も建築家。作家・詩人の金子光晴の義祖父にあたる。
参考文献
- 建築雑誌 第36輯第436號(発行:建築學會/大正11年12月)
- 建築雑誌 第37輯第446號(発行:建築學會/大正12年10月)
- 20世紀日本人名辞典(発行:日外アソシエーツ)
関連項目
- 建築史
- 日本近代建築史
- 西洋館
- 擬洋風建築
外部リンク
- 日本建築学会所蔵写真データベース
- 朝日日本歴史人物事典、デジタル版 日本人名大辞典+Plus『佐立七次郎』 - コトバンク
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