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���戸時代前期の旗本
Sakamoto Shigeyasu
The basics
Quick Facts
Intro
���戸時代前期の旗本
Places
Gender
Male
Birth
Age
56 years
Family
Father:
The details (from wikipedia)
Biography
坂本 重安(さかもと しげやす)は、江戸時代前期の旗本。
生涯
坂本家は甲斐の戦国大名・武田家の遺臣で、徳川家康の関東入部の際、祖父の貞次が相模国高座郡内(現在の神奈川県大和市周辺)で370石余の知行地を受けた。
慶長7年(1602年)、15歳の時に徳川秀忠に仕えて大番となる。2度の大坂の陣に従軍し、大坂落城の際に首二級をとる。寛永10年(1633年)2月7日、常陸国信太郡内に200石の加増を受け、570余石となる。
なお、異母弟の貞俊(権十郎)も秀忠に大番として仕えて別家(200石)を立て、大坂の陣でも戦功があったが、徳川忠長附属となったため、忠長が改易された際に浪人となり、寛永10年(1633年)に幕府から10人扶持を与えられている。病のため、兄の重安の領地である深見村に閑居している。
寛永21年(1644年)没、法名は法常院殿日住居士。はじめ高輪の長応寺に葬り、のち青山の持法寺に改葬した。
家督は養子の重治(重治の母は阿倍重真の娘)が継いでおり、重治はのちに大目付・寺社奉行など幕府の要職を務め、短期間ながら大名となった(深見藩)。なお、実子として側室(「某氏」)所生の貞政がおり、重治が270石を分知して別家を立てている。
備考
- 『日本城郭大系』には、大和市深見字坊之窪付近の「坂本重安屋敷」が挙げられている。
脚注
注釈
出典
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第百三十一、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.794、『新訂寛政重修諸家譜 第三』p.80。
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第百三十一、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.797、『新訂寛政重修諸家譜 第三』p.83。
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第百三十一、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』pp.794-795、『新訂寛政重修諸家譜 第三』pp.80-81。
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第百三十一、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.795、『新訂寛政重修諸家譜 第三』p.81。
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