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Sakamoto Sadayoshi
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Gender
Male
Family
Father:
Sakamoto Sadatsugu
Children:
Sakamoto Shigeyasu
The details (from wikipedia)
Biography
坂本 貞吉(さかもと さだよし)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。甲斐武田氏に仕えた後に徳川家康に仕え、江戸幕府旗本となった。
生涯
武田家家臣で、駿河国田中城の守備にあたっていた坂本貞次の子。貞吉も武田勝頼に仕えた。天正10年(1582年)に武田家が滅亡すると、父の貞次とともに徳川家康に召し出された。徳川家では大番士となり、長久手の戦いに従軍した。
徳川家康の関東入部の翌年、天正19年(1591年)に「采地の御朱印」を発給されている(父の貞次が天正18年(1590年)に相模国高座郡で370余石を与えられている)。慶長5年(1600年)には上田合戦(第二次)に参加。
慶長12年(1607年)1月1日、51歳で没。知行地である相模国高座郡深見村(現在の神奈川県大和市深見)の仏導寺に葬られた。家督は長男の重安が継いだ。
備考
- 神奈川県大和市深見の仏導寺には「坂本家の墓」3基(市指定重要有形文化財)があり、被葬者は貞吉、貞吉夫人、貞吉の二男の貞俊(晩年は病気により兄・重安の知行地である深見村で隠棲した)であると考えられている。なお重安以後、坂本家は代々江戸の寺を葬地としている。
脚注
注釈
出典
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第百三十一、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.794、『新訂寛政重修諸家譜 第三』p.80。
- ^ “坂本家の墓”. 大和市文化芸術情報サイト 大和文化文花.大和市. 2021年8月28日閲覧。
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第百三十一、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.796、『新訂寛政重修諸家譜 第三』p.82。
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