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���本の陸軍軍人
Saisho Atsufumi
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Intro
���本の陸軍軍人
Places
Gender
Male
Star sign
Age
54 years
Awards
Order of the Rising Sun, 2nd class
Order of the Rising Sun, 6th class
The details (from wikipedia)
Biography
税所 篤文(さいしょ あつふみ、1855年8月13日〈安政2年7月〉 – 1910年〈明治43年〉2月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将、鹿児島県出身
人物
薩摩藩士の税所六郎兵衛篤志の子として生まれる。
陸軍士官学校旧2期卒。1886年(明治19年)、陸軍砲兵大尉に任官し、砲兵第5連隊第1大隊中隊長を拝命する。1895年(明治28年)、陸軍砲兵中佐に任官すると、軍務局砲兵課長、軍務局兵器課長を歴任する。1902年(明治35年)、陸軍少将に任官と同時に呉要塞司令官に補され、翌年同要塞が広島湾要塞に改称されると再度司令官に任用された。1906年(明治39年)8月、旅順陣歿露兵遺骸合理委員会が設置されると委員長に選任される。その翌年には旅順要塞初代司令官伊地知幸介の後任として第2代司令官に任じられるが、約3年後の1910年(明治43年)2月26日、腎臓炎と盲腸周囲炎の合併症により現職のまま卒去した。同日付で正四位を追叙された。墓所は青山霊園。
官歴
- 1879年(明治12年)2月1日 - 陸軍士官学校(旧2期)卒業、任 陸軍砲兵少尉
- 1886年(明治19年)
- 6月1日 - 任 陸軍砲兵大尉。
- 6月3日 - 補 砲兵第5連隊第1大隊中隊長。
- 1890年(明治23年)
- 1月14日 - 補 陸軍省砲兵局第1課長。
- 3月28日 - 補 軍務局課員(兼陸軍将校生徒試験委員如故)
- 1891年(明治24年)9月16日 - 任 陸軍砲兵少佐。
- 1891年(明治24年)8月24日 - 御用有之北海道並仙台及青森へ主張ヲ命ズ。
- 1891年(明治24年)9月16日 - 任 陸軍砲兵少佐。
- 1892年(明治25年)
- 7月9日 - 御用有之大阪砲兵工廠へ主張ヲ命ズ。
- 12月16日 - 兼補 砲兵会議議員
- 1894年(明治27年)9月26日 - 参謀本部御用掛兼勤ヲ命ズ。
- 1895年(明治28年)
- 4月16日 - 任 陸軍砲兵中佐。
- 1896年(明治29年)10月29日 - 補 軍務局砲兵課長。
- 1897年(明治30年)
- 9月15日 - 補 軍務局兵器課長。
- 10月11日 - 任 陸軍砲兵大佐。
- 1900年(明治33年)4月25日 - 兼 兵器監部員
- 1902年(明治35年)5月5日 - 任 陸軍少将、補 呉要塞司令官。
- 1903年(明治36年)5月1日 - 広島湾要塞司令官
- 1904年(明治37年)3月10日 - 第二軍砲兵部長
- 1906年(明治39年)
- 2月6日 - 広島湾要塞司令官
- 8月 - 旅順陣歿露兵遺骸合理委員会委員長 拝命
- 1907年(明治40年)4月1日 - 補 旅順要塞司令官
- 1909年(明治42年)8月1日 - 任 陸軍中将
- 1910年(明治43年)2月26日 - 卒去。
栄典・授章・授賞
- 位階
- 1885年(明治18年)11月27日 - 正七位
- 1891年(明治24年)12月28日 - 従六位
- 1895年(明治28年)11月15日 - 正六位
- 1897年(明治30年)10月30日 - 従五位
- 1902年(明治35年)9月20日 - 正五位
- 1907年(明治40年)10月11日 - 従四位
- 1910年(明治43年)2月26日 - 正四位
- 勲章等
- 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章
- 1892年(明治25年)5月28日 - 勲六等瑞宝章
- 1895年(明治28年)
- 9月20日 - 単光旭日章・功四級金鵄勲章
- 11月18日 - 明治二十七八年従軍記章
- 1896年(明治29年)11月25日 - 勲五等瑞宝章
- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲二等旭日重光章・功三級金鵄勲章
- 外国勲章佩用允許
- 1901年(明治34年)10月4日 - プロイセン王国:赤鷲第二等勲章
- 1902年(明治35年)9月6日 - フランス共和国:レジオンドヌール勲章オフィシェ
- 1908年(明治41年)8月17日 - ロシア帝国:神聖スタニスラス第一等勲章
親族
- 娘婿:山本貞房(砲兵大尉)
脚注
- ^ 『日本陸軍将官総覧』102頁
- ^ 大植 1935, 1152頁.
- ^ 『官報』第883号「叙任及辞令」1886年6月12日。
- ^ 『官報』第879号「叙任及辞令」1886年6月8日。
- ^ 『官報』第1964号「叙任及辞令」1890年1月18日。
- ^ 『官報』第2021号「叙任及辞令」1890年3月29日。
- ^ 『官報』第2468号「叙任及辞令」1891年9月18日。
- ^ 『官報』第2448号「叙任及辞令」1891年8月26日。
- ^ 『官報』第2711号「叙任及辞令」1892年7月12日。
- ^ 『官報』第2843号「叙任及辞令」1892年12月17日。
- ^ 『官報』第3378号「叙任及辞令」1894年9月29日。
- ^ 『官報』第3584号「叙任及辞令」1895年6月12日。
- ^ 『官報』第4003号「叙任及辞令」1896年10月30日。
- ^ 『官報』第4264号「叙任及辞令」1897年9月16日。
- ^ 『官報』第4285号「叙任及辞令」1897年10月12日。
- ^ 『官報』第5648号「叙任及辞令」1902年5月6日。
- ^ 外交史料Q&A : 外交史料館に聞いてみよう. 平成18年 (12月)
- ^ 『官報』第7124号「叙任及辞令」1907年4月2日。
- ^ 『官報』第1033号「叙任」1886年12月8日。
- ^ 『官報』第2551号「叙任及辞令」1892年1月4日。
- ^ 『官報』第3717号「叙任及辞令」1895年11月16日。
- ^ 『官報』第4302号「叙任及辞令」1897年11月1日。
- ^ 『官報』第5767号「叙任及辞令」1902年9月22日。
- ^ 『官報』第7288号「叙任及辞令」1907年10月12日。
- ^ 『官報』第5002号「叙任及辞令」1910年2月28日。
- ^ 『官報』第1948号「叙任及辞令」1889年12月24日。
- ^ 『官報』第2680号「叙任及辞令」1892年6月6日。
- ^ 『官報』第3671号「叙任及辞令」1895年9月21日。
- ^ 『官報』第3858号・付録「辞令」1896年5月12日。
- ^ 『官報』第4027号「叙任及辞令」1896年11月30日。
- ^ 『官報』第5488号「叙任及辞令」1901年10月16日。
- ^ 『官報』第5778号「叙任及辞令」1902年10月6日。
- ^ 『官報』第7567号「叙任及辞令」1908年9月14日。
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