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Otojirō Itō
The basics
Quick Facts
Places
Gender
Male
Place of birth
Ōsaka Prefecture, Kansai region, Japan
Age
80 years
The details (from wikipedia)
Biography
伊藤音次郎(いとう おとじろう、1891年6月3日 - 1971年12月26日)は日本の民間航空のパイオニアである。伊藤飛行機研究所を設立し、多くのパイロットを育てるとともに、国産機の開発にも努めた。
来歴
現在の大阪市浪速区にある、恵美須町で生まれた。
商家に務めながら航空の道を目指し、1911年に上京、奈良原三次に弟子入りし、奈良原の航空機の製作を手伝った。民間飛行士の資格を取り、奈良原三次が航空界から引退すると1915年2月現在の千葉市美浜区に伊藤飛行機研究所を創立し、独立した。
1915年に自らの出身地の名前をつけた伊藤式・恵美1型を製作し1916年1月8日東京訪問飛行を行い飛行家として有名となった。1917年に台風で施設が被害を受けると、1918年に津田沼に研究所を移転した。育成した飛行士の中には、日本最初の女性飛行士、兵頭精や、日本航空輸送研究所を設立した井上長一などがいる。
1923年に朝日新聞社が東西定期航空会を発足させると、伊藤飛行機研究所は飛行機、飛行士を提供し、民間定期航空運輸を行った。1930年に、日本軽飛行倶楽部を設立し、奈良原三次を会長とし軽飛行機の普及に貢献した。
戦後、GHQの航空禁止令を受けて航空界から引退し、社員らと共に「恵美開拓農業協同組合」として千葉県成田市東峰で戦後開拓に携わって農場主となった。
東峰が新東京国際空港の建設予定地の一部として選定された際には、地元住民が困惑し、一部が三里塚闘争に身を投じる中、伊藤ただ一人が空港が来たことを大歓迎したと言われ、新東京国際空港公団との用地売却契約を最初に結んだグループの1人となった。
その後は、千葉市稲毛海浜公園にある「民間航空発祥の地記念碑」の建立に尽力した。
脚注
外部リンク
関連項目
- 伊藤飛行機研究所
- 稲毛民間航空記念館
- 東峰神社
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