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Japan
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Naoshi Sagisaka
Japanese lawyer

Naoshi Sagisaka

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese lawyer
Places
Work field
Gender
Male
Place of birth
Uzen Province, Tōsandō, Japan
Age
28 years
Education
Daigakkō
Middle Temple
Vrije Universiteit Brussel
The details (from wikipedia)

Biography

向坂 兌(さぎさか なおし、嘉永6年4月27日(1853年6月3日) - 明治14年(1881年)6月14日)は明治時代のイギリス留学生。佐野藩貢進生として大学南校に学び、開成学校より文部省留学生に抜擢された。ロンドンミドル・テンプルに学んで法廷弁護士となり、西欧を歴遊して研鑽を積んだが、肺病のため帰国後間もなく死去した。

経歴

嘉永6年(1853年)4月27日、出羽国上山藩士五十嵐道歖の三男として生まれた。館林藩士林成昌養子となった後、慶應2年(1866年)3月19日下野国佐野藩士向坂弘孝養子となり、藩校観光館に学んだ。

明治3年(1870年)冬東京に上り、佐野藩貢進生として大学南校英学部に入学し、明治7年(1874年)9月開成学校法学本科に進んだ。

明治9年(1876年)6月、第二回文部省留学生に抜擢され、サンフランシスコ経由でロンドンに留学し、岡村輝彦、穂積陳重と共にミドル・テンプル法曹院に入学した。明治12年(1879年)6月9日穂積と共に卒業試験に合格し、6月25日法廷弁護士となったが、これは日本人として星亨、長岡護美に次いで3番目だった。オックスフォード巡回区で巡回裁判所裁判官を勤め、スタッフォードでの裁判では弁護士の業務も要請されたが、視察目的として断った。

ブリュッセル自由大学に移り、ドイツで村田保と会い、イタリアで万国刑法会議ドイツ語版に出席し、デンマーク、スウェーデンを歴遊した。その後、パリに滞在して裁判所、刑務所を視察し、明治14年(1881年)5月帰国したが、肺病のため、6月14日に死去した。墓所は原宿村龍巌寺、法名は十洲松嶼居士。

著作

  • 「刑罰論」『講学余談』第2号、明治9年4月

親族

実父は羽前国上山藩士五十嵐柔兵衛道歖、祖父は上山藩儒五十嵐于拙。

養父向坂善左衛門弘孝は佐野藩物頭、後郡奉行として三国峠で幕府軍と戦い、明治17年(1884年)6月8日没。養母恵(えい)は館林藩士根岸弥源治娘で、明治38年(1905年)9月10日館林町で没。

姉升は兌と同時に林成昌養女となった後、安政4年(1857年)2月30日館林藩下家老勝沼精之允信紀に嫁ぐが、精之允は幕府方に就いて自害し、帰郷して上山小学校女子部主幹となった。孫に医学者勝沼精蔵がいる。

兌の死後、向坂家は叔父誠の次男武が継いだ。

脚注

  1. ^ 塩澤全司、高橋昭「勝沼精藏先生の嘆息 ―杉浦重剛撰文「向阪兌之墓」― (PDF) 」 『山梨医大紀要』第17巻、山梨医科大学、2000年。
  2. ^ 七戸克彦「現行民法典を創った人びと(14) (PDF) 」 『法学セミナー』第55巻第6号、日本評論社、2010年6月。
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