Naoki Haruhana
Quick Facts
Biography
春一番(はるいちばん、1966年8月13日 - 2014年7月3日)は、日本のお笑いタレント、俳優。本名・春花 直樹(はるはな なおき)。アネット所属。
来歴
神奈川県生まれ、岡山県浅口郡鴨方町(現:浅口市)出身。高校は素行不良が元で最初の一学期のみで中退。地元の悪い仲間から引き離したいと親が考えたことにより、埼玉県の親戚の元へ預けられ、その後大宮市(当時)内の甘栗太郎に入社。同社でのサラリーマン生活を経て、1985年に芸人を志し片岡鶴太郎に弟子入り。
1988年、ドラマ『翼をください』で芸能界デビュー。当時の所属事務所は太田プロダクション。鶴太郎夫人の画数診断によると「本名では画数が悪い」とのことで芸名を付けようということになり、苗字が春花である事と、『芸人として一番を目指せ!』『春一番の風のように強い風を吹かせろ!』という思いを込めて、師匠の鶴太郎自身が『春一番』という芸名を命名した。同期のお笑い芸人には爆笑問題(太田光・田中裕二)、今田耕司、松村邦洋がいる。
アントニオ猪木の物真似(猪木自身が唯一公認している)一本で勝負するスタイルで、春自身、猪木信者でもある。小学校での卒業アルバムで、自分の将来について「猪木さんそっくりのプロレスラーになる」と書いたほどである。猪木の物真似はロックバンド『THE BLUE HEARTS』のリードボーカルで歌手の甲本ヒロトと『キン肉マン』で有名な漫画家のゆでたまごから勧められて始めた。猪木の物真似を初めてやったのはテレビ東京の『宴会芸大賞』という番組で、物真似で出ろと勧められても最初物真似は出来ないと渋っていたが、「猪木さんの物真似なら…」と最後は承諾して物真似を披露した。その後『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』では毎回「プロレス字読みクイズ」に当然猪木の物真似付きで出場。散々なやられっぷりを見せた後に「今日も負けてしまいましたが…」「1・2・3・ダァーッ!!」のマイクアピールで締めるお約束で知名度が高まるが、過度の酒好きも絡んだ素行不良により、1994年に太田プロから解雇される。
『お笑いウルトラクイズ』を若手抜擢・育成の場と考えていたビートたけしは、春にも目をかけており、周囲の人間に春に酒を飲ませないように指示を出したり、「お前が酒を止めたら、俺の番組で一生使ってやる」と説いたりしていた。たけしと同じく事務所の先輩であるダチョウ倶楽部も、春の家に電話をかけて酒を飲んでいないか様子をみるなど、多くの芸人仲間が春の生活ぶりを気にかけていた。
爆笑問題の太田光は電話をして「飲んでないよ」という春の声と、ウィスキーかバーボンのロックアイスが『カラン』と鳴る音を聞いたという。しかし、「お前が酒を止めたら…」の言葉に感涙した次の日にはすっかり忘れて飲みふけっていたり、春が酒びたりでやせ細っていると聞いたたけしが「しっかり飯を食べるように」と贈った炊飯器で熱燗やホットウイスキーを作っていたりするなど(これについて浅草キッドらがネタにしたこともある)、春自身はその最後まで酒を手放すことが出来なかった。
1997年、3歳年下の女性と結婚。
1998年4月4日の引退セレモニーで猪木が読み上げた詩「道」は、春の新しい物真似レパートリーとなり、徐々に表舞台への登場が増える。さらに2000年頃、猪木の活動が注目を集めるようになると、春自身へのオファーもさらに増え、この頃猪木のモノマネでCMに出演した事がある。猪木とのコラボだけでなく、春単品のグッズ(フィギュアなど)も発売されている。
しかし2005年8月8日から12月にかけて、腎不全(病名は化膿性肺炎)で入院し、手術を受けた。集中治療室に入っていた際、猪木本人の見舞いを受け、「病院で会うのはつまんねぇ。元気になったら飲みに行こうよ」などと激励されたという(この際、ICU内にもかかわらず猪木の携帯電話が鳴ってしまったが、猪木は悠然と電話に出て「10分後にかけ直す」と言ったという)。一時は命も危ぶまれたが、この猪木の見舞いを受けてから奇跡的な回復を遂げた。実際、猪木とは回復後頻繁に会っており、飲みの場に同席していたとのこと。なお、このICUの中で猪木が食らわせたビンタで春一番が回復したというエピソードもある。
2006年12月31日、フジテレビの『最強運2006ランキング大検証SP』に出演。仕事が出来るまで回復した事を示す。その後も営業や単発のテレビ出演などを精力的にこなしていた。
2014年7月2日、帰宅後に一人で飲酒、酩酊した後、妻が7月3日午前1時頃に春を寝かしつけた際には「ごめんね、ありがとう」と繰り返していたが、午前6時頃、隣で寝ていた夫人が身体が冷たくなっているのに気付き救急車で緊急搬送され、病院で蘇生措置が取られたが午前7時頃に死亡が確認された。死因は肝硬変。47歳没。死去を受け、アントニオ猪木が「贈る言葉に相応しくないと思いますが、あえて『元気ですかー!』を送ります。」と追悼コメントを寄せ、師匠の片岡鶴太郎、先輩のダンカンも春の死を悼んでいる。
通夜は7月9日、葬儀・告別式は7月10日に東京都内の斎場で近親者のみで営まれたが、爆笑問題、山田邦子、ダンカン、エスパー伊東、布川敏和、肥後克広(ダチョウ倶楽部)、松村邦洋、アントニオ小猪木、アントキの猪木ら春と親しかった芸能人も通夜・告別式に参列し、春の冥福を祈った。出棺は喪主を務めた春の夫人の意向によりアントニオ猪木のマイクパフォーマンスの際の決め台詞で春の定番ギャグでもあった「1・2・3・ダァーッ!!」と音頭を取って春を天国へ送り出した。
春の告別式から一夜明けた7月11日、春が遺した自身のブログを夫人が更新し、春の容態急変から死亡するまでの一部始終を克明に伝えた。最後は「春さんと出会って22年 マネージャーになって20年 結婚して18年 いつも春さんと一緒にいました。(中略)春一番を応援してくださった皆様 春一番を支えてくださった関係者様 春一番と仲良くお付き合いしてくださった御友人の皆様 本当にありがとう御座いました。 春一番闘魂伝笑ブログを御覧くださりありがとう御座いました。 この場をかりて御報告をする事を御許しください。」と夫人から春のファンや芸能関係者に向けて感謝のメッセージが添えられた。
エピソード
- 鶴太郎への弟子入りは、直接鶴太郎の自宅へ出向いての“押しかけ”のような形だったが、自宅の場所は当時鶴太郎のあるゴシップ記事で載っていた自宅マンション前の写真と、『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で聴いた情報を頼りに推測して行ったという。
- アイドルグループのCoCo、ribbonのファンで、特に三浦理恵子のファンだった。
- それまでの猪木のモノマネの定番であった「(アゴを突き出し)何だコノヤロー!」を初めてやらず(要請されれば仕方なくやる事もあるが)、純粋に猪木のトーク(主にマイクアピール)のモノマネを行ったタレントでもある。披露した当初は若い女性の客に全くウケなかったが、裏では控えの芸人仲間やスタッフが大爆笑していたという。春の営業は「1、2、3、ダァー」のかけ声だけでギャラがとれる、最もコスト・パフォーマンスの高い営業だと水道橋博士にギャグにされている。
- 春が行う「ダァー!」には、「1、2、3、でダァー!です」というセリフがあったり、「ダァー!」の前に「ハイ!」と合図を挟むという特徴があるが、これは猪木が1990年2月10日、リング上で初めて「ダァー!」を行った際の模様を正確に模写したものである。
- 猪木だけでなく長州力や山本小鉄のモノマネも出来る。かつて長州は春に会うと「お!会長!」と声を掛けたと言う。
- 近年、同じく猪木の物まねをレパートリーとするアントニオ小猪木、アントキの猪木が登場しているが、春が猪木モノマネの第一人者であることに変わりはなく、他の芸人が猪木のモノマネをすると「春一番さんのモノマネですか?」と言われることも多い。ただし小猪木の場合は試合中の猪木の動きのモノマネ、アントキの場合はモノマネを応用したなりきりネタを主に披露しており、一方春の場合は純粋に猪木の話し方のモノマネが多いという、差別化された特徴がある。また、3人で『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』に出演、2009年のアントニオ猪木の誕生日パーティーでも3人集結したなど、勢揃いしての仕事も何度かある。
- 『週刊オリラジ経済白書』で収入の9%としてアントニオ猪木からの小遣いを挙げている。これは猪木から貰った金額が9万円と中途半端な金額の為である。また大きな収入として携帯電話の着信ボイスも挙げている。
- 『内村プロデュース』内の健康診断企画において、不健康芸人のサンプルとして呼ばれたことがある(2002年5月16日放送分)。その際、γ-GTPの値が1500というあまりにも異常な結果が出たためすぐに医者から入院を勧められた(成人男性のγ-GTPは10〜50が正常値と言われており、春の数値はその30倍。「超高度」の基準値でも500であり、1500という数字がいかに異常であるか分かる)。しかし、それでも春は酒を愛する余り止めることができず、後の死の一因となった。
- JUN SKY WALKER(S)の宮田和弥は、デビューしたばかりの頃に春と同居していたことがあった。
- 2000年3月11日に国立競技場で行われたサッカーJリーグディビジョン1・1stステージ第1節の鹿島アントラーズvs名古屋グランパスにはアントニオ猪木がゲストで登場したが、春はその1週間後の2000年3月18日に国立競技場で行われたサッカーJリーグディビジョン1・1stステージ第2節のFC東京vsアビスパ福岡にゲストとして登場した。
出演
バラエティ
- オールナイトフジ(1988年頃、フジテレビ)
ドラマ
- 翼をください(1988年1月3日、NHK)
- ドラマ23「涙日記」(1988年6月、TBS)
- 抱きしめたい!(1988年、フジテレビ) - 麻子のアシスタント 役
- 抱きしめたい!'89(1989年3月30日、フジテレビ)
- 抱きしめたい!'90(1990年1月3日、フジテレビ)
- ドラマスペシャル「年末年始ホテル物語」(1988年12月30日、TBS)
- 君の瞳に恋してる!(1989年、フジテレビ)
- ドラマダス「平成カラオケの乱」(1990年、関西テレビ)
- チャンス!(1993年、フジテレビ)
- ビーチボーイズ 第7話「海がくれた勇気」(1997年8月18日、フジテレビ) - アロハの客 役
- うさぎたちのもちつき(2008年、BS-i、ネットシネマ.TV)
ラジオ
- 春一番のどけぇいきょーん?!(山陽放送)
CM
- DDI「DION」(1996年)
- ローソン(2003-04-26)
著書
- 『元気です!!!』(2007年2月20日出版・幻冬舎 アントニオ猪木の誕生日に出版した)
ディスコグラフィ
- 『春一番の炎のファイター INOKI BOM-BA-YE Haruichiban〜Remix〜/元気ですか体操』(2003年1月23日発売)
脚注
- ^ 自著『元気です!!!』31-33ページより
- ^ “猪木さんものまね芸人、春一番さんが死去”. 産経新聞. (2014年7月3日). https://www.sankei.com/entertainments/news/140703/ent1407030001-n1.html
- ^ 自著『元気です!!!』45ページより
- ^ 片岡鶴太郎 愛弟子・春一番さんを悼む「酒を辞めて欲しかった」 スポーツニッポン 2014年7月3日閲覧
- ^ 自著『元気です!!!』21ページより
- ^ 自著『元気です!!!』68ページより
- ^ 自著『元気です!!!』24ページより
- ^ “春一番さん 同期・爆問も知らなかった最期…47歳、アル中患い突然死”. デイリースポーツ.神戸新聞社 (2018年10月26日). 2018年10月26日閲覧。
- ^ “ダンカンの笑撃回顧録『たけしの「お笑いウルトラクイズ」のトンデモ舞台裏<3>』”.日刊ゲンダイ (2020年1月12日). 2020年1月12日閲覧。
- ^ 自著『元気です!!!』136-137ページより
- ^ 自著『元気です!!!』187ページより
- ^ “猪木氏「元気ですかー!」ICUで気合入れていた…春一番さん急死”.スポーツ報知 (2014年7月4日). 2014年7月4日閲覧。
- ^ “「元気ですかー!」。アントニオ猪木の気合で病床の“春一番”が一命を取りとめていた。”.エンタがビタミン♪ (2010年7月27日). 2014年7月4日閲覧。
- ^ 猪木氏 春一番さんに別れの言葉 デイリースポーツ 2014年7月3日
- ^ 春一番さん 妻亡くしたダンカンに弔電送っていたのに… スポーツニッポン 2014年7月4日閲覧
- ^ 自著『元気です!!!』39-41ページより
- ^ 自著『元気です!!!』85ページより
- ^ “2008年4月22日(火)【第131回】”.『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』番組公式サイト (2008年4月22日). 2014年7月4日閲覧。
- ^ この際春自身、猪木のモノマネ芸人が多数登場したことについて「みんな猪木信者がいればいいと思っている」と同じ猪木ファンは一体であると語っている。
- ^ “2014年7月4日放送『グッド!モーニング』”.TVでた蔵 (2014年7月4日). 2014年7月4日閲覧。
- ^ “宮田和弥、同棲していた春一番さん偲ぶ”.日刊スポーツ (2014年7月4日). 2014年7月4日閲覧。
関連項目
- アントニオ猪木
- アントキの猪木
- アントニオ小猪木
- 井手らっきょ
- 片岡鶴太郎
- 爆笑問題、松村邦洋、太田光代 - 太田プロ時代の同期
- お笑いタレント
- リアクション芸人