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Namura Mototake
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Biography
名村 元武(なむら もとたけ)は江戸時代後期の阿蘭陀通詞。長崎通詞名村氏別家6代目。『ドゥーフ・ハルマ』編纂者の1人。ロシア帝国使節ニコライ・レザノフの通訳を務め、オランダ商館医フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトとも関わった。
経歴
天明3年(1783年)稽古通詞名村三郎助元孝の子として生まれた。寛政3年(1791年)3月父の退職に伴い稽古通詞となった。文化元年(1804年)ロシア帝国使節ニコライ・レザノフが来航した際通訳を務めた。文化2年(1805年)9月小通詞末席。文化6年(1809年)10月ロシア語・英語の学習を命じられた。
文政2年(1819年)4月小通詞並。文政6年(1823年)フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが来日して教えを請う人々が集まると、他の通詞等とオランダ語を講義した。文政12年(1829年)から天保3年(1832年)まで江戸天文台に勤務した。
天保7年(1836年)10月小通詞助、天保8年(1837年)11月小通詞。天保12年(1841年)参府休年出府通詞を務め、同年9月25日59歳で病没した。戒名は眉山良月居士。
- 『ドゥーフ・ハルマ』
- 『阿蘭陀船乗組人数名歳并諸荷物書留』 - 天保4年(1833年)来港したプリンセス・マリアンヌ号の乗船人名簿の翻訳。
家族
- 祖父:名村八郎助 - 明和5年(1768年)稽古通詞。安永8年(1779年)退職、某年10月18日病没。
- 父:名村三郎助元孝 - 宝暦6年(1756年)生。安永8年(1779年)稽古通詞、寛政元年(1789年)小通詞末席。寛政3年(1791年)退職、文化元年(1804年)8月4日病没。
- 母:モト - 楢林栄左衛門高美妹。天保7年(1836年)1月18日没。
- 嫡女:政(満佐) - 天保11年(1840年)4月19日没。
- 養子:名村元義 - 大通詞。
脚注
- ^ 石原 1988, pp. 52–53.
- ^ Philipp Franz v. Siebold, Überfahrt von Kokura nach Simonoseki und Aufenthalt daselbst.
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