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Japanese actress
Namiko Rokujō
The basics
Quick Facts
Intro
Japanese actress
Places
was
Work field
Gender
Female
Place of birth
Niigata Prefecture, Japan
Star sign
Age
80 years
The details (from wikipedia)
Biography
六条 奈美子(ろくじょう なみこ、1902年1月25日 - 1982年1月21日)は、日本の女優。本名は石川 マキ(いしかわ まき)、デビュー後、第二次世界大戦前には六條 浪子(読み同)と名乗った。現在の劇団ひまわりの前身「技芸座」の創始者である。
人物・来歴
1902年(明治35年)1月25日、新潟県新潟市に生まれる。
1920年(大正9年)に松竹キネマ(現在の松竹)が開設した松竹蒲田撮影所に入所、1921年(大正10年)、「六條浪子」の名で、田中欽之監督、関根達発主演のサイレント映画『親なき娘』に出演した。その後、岡田嘉子、山田隆弥らの新劇の劇団「舞台協会」に入団、1923年(大正12年)の日活向島撮影所と同劇団の出演提携の際に3本の映画に出演している。同撮影所は、同年9月1日の関東大震災で壊滅、日活京都撮影所に合流するが、六条ら舞台協会は、西宮に移り、1925年(大正14年)、東亜キネマ甲陽撮影所で、谷崎潤一郎原作、阪田重則監督の『お艶殺し』に出演している。
1933年(昭和8年)、技芸座(現在の劇団ひまわり)を結成した。
戦後は時代劇に転向し、東映京都撮影所、ついで松竹京都撮影所の剣戟映画等に出演した。1962年(昭和37年)には映画界を脱し、テレビ映画に進出した。
1982年(昭和57年)1月21日に死去した。満79歳没。
フィルモグラフィ
- 六條浪子
- 『親なき娘』 : 監督田中欽之、脚本池田義臣、松竹蒲田撮影所、1921年
- 『髑髏の舞』 : 監督・原作・脚本田中栄三、日活向島撮影所、1923年 - 蘭香の女弟子新子
- 『三つの魂』 : 監督田中栄三、原作・脚本伊藤松雄、日活向島撮影所、1923年
- 『血の洗礼』 : 監督若山治、原作・脚本秦哀美、日活向島撮影所、1923年
- 『お艶殺し』 : 監督・脚本阪田重則、原作谷崎潤一郎、東亜キネマ甲陽撮影所、1925年 - 清次の女房
- 『少年鼓手』 : 監督・脚本帰山教正、原作デ・アミチス『クオレ』、1926年 - 慈悲深き母
- 『不滅の光明』 : 監督三沢偶伴、原作前田曙山、脚本長里清、1927年 - 巡回映画
- 六条奈美子
- 『透明人間現わる』 : 監督安達伸生、原案髙木彬光、脚本安達伸生、大映、1949年- 中里敏子
- 『新諸国物語 笛吹童子 第三部 満月城の凱歌』 : 監督萩原遼、原作北村寿夫、脚本小川正、東映京都撮影所、1954年- 藤江
- 『唄しぐれ おしどり若衆』 : 監督佐々木康、原作三上於菟吉、脚本西条照太郎・加藤泰 、東映京都撮影所、1954年
- 『怪談牡丹燈籠』 : 監督・脚本野淵昶、東映京都撮影所、1955年 - お米
- 『赤穂浪士 天の巻 地の巻』 : 監督松田定次、原作大仏次郎、脚本新藤兼人、東映京都撮影所、1956年 - 弥兵衛の妻 若
- 『異国物語 ヒマラヤの魔王』 : 監督河野寿一、原作大林清、脚本結束信二、東映京都撮影所、1956年
- 『異国物語 ヒマラヤの魔王 双竜篇』 : 監督河野寿一、原作大林清、脚本結束信二、東映京都撮影所、1956年
- 『異国物語 ヒマラヤの魔王 日月篇』 : 監督河野寿一、原作大林清、脚本結束信二、東映京都撮影所、1956年
- 『赤城の血煙 国定忠治』 : 監督福田晴一、原作子母沢寛、脚本杉山義三・永江勇 、松竹京都撮影所、1957年
- 『妻恋道中』 : 監督的井邦雄、脚本浪江浩、松竹京都撮影所、1958年
ビブリオグラフィ
- 『流れ星』 - 戯曲集
註
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