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Japanese physician
Nakarai Zuisaku
The basics
Quick Facts
Intro
Japanese physician
Places
was
Work field
Gender
Male
Birth
Age
74 years
Family
Father:
Children:
Nakarai Narinobu
The details (from wikipedia)
Biography
半井 瑞策(なからい ずいさく)は、室町時代後期から安土桃山時代の医師。名は光成(みつなり)。瑞策は通称。晩年に剃髪して2代驢庵を名乗った。当代の名医として知られ、正親町天皇より『医心方』の写本を下賜されている。
生涯
半井明親(初代驢庵)の二男として生まれる。兄には半井明英(寿琳、閑嘯軒)がいる。医学に優れていたために父の医業を継ぎ、晩年に剃髪すると父の「驢庵」の号を受け継いでいる。瑞策の子孫が「驢庵」の号や典薬頭を世襲したため、兄の明英が分家したような形となるが、このためか瑞策を明英の子とする系図がある。
正親町天皇(在位: 1557年 - 1586年)の時代、法印に叙すことが検討されたが、先任の法印がいる場合にはその上席に就けることができないため、深黒の素絹を着用することを許し、僧綱によらずに法印の上席とした。これは他の医官と異なる半井家の特例となった。また、天皇の勅命により、従来の「通仙軒」を改めて「通仙院」という院号を名乗ることを許され、『医心方』の写本を下賜された。
織田信長とは親しい関係となり、信長は京都に入った際に半井家の屋敷を宿舎とした。また、豊臣秀吉からも殊遇を得た。
文禄5年/慶長元年(1596年)8月25日死去 。ただし「半井家系図」では天正5年(1577年)8月25日没、享年75としており、『寛政譜』はこの没日を採る(享年の記載はない)。大徳寺真珠庵に葬られた。
備考
- 名医として知られた人物で、さまざまなエピソードが伝わる。
- 『寛政重修諸家譜』では以下のような話を載せている。あるとき近江国の人を診察した際に「必死の脈」があると診た。その人は病気もないために不審に思われていたが、その人は翌日に矢に当たって死亡したために、世の人は医術の精妙なことを称えたという。また、このような話は枚挙にいとまがないとしている。
- 正親町天皇から下賜された『医心方』の写本は典薬頭半井家で門外不出の書として秘蔵され、現代まで伝わる。『医心方』の現存最古の写本であり、『医心方(半井家本)』として国宝に指定されている(半井家#医心方(半井家本)参照)。
- 大徳寺の塔頭・真珠庵は、瑞策の父・明親(初代驢庵)の墓所であり、瑞策とその家族も葬られた。真珠庵には瑞策夫妻の肖像画が伝わる。
- 正親町天皇から御殿一式を拝領した。そのうち書院1棟は真珠庵に寄進され、「通遷院」の名で現存する(「眞珠庵通仙院」として重要文化財)。ただし、通遷院(通仙院)については、江戸時代初期に正親町天皇の女御の化粧殿を移築したもの、という説明もされる。瑞策が拝領した御殿の他の部分については、瑞策の子孫である半井成近の時に江戸・元吉原の屋敷に移されたものの、明暦の大火で焼失した。また、瑞策の甥の手によって一部が堺に移されたともいい、『堺市史』(1929年)によれば堺市熊野町東一丁の半井家邸宅には唐破風造の玄関を有する建物があったという。
脚注
注釈
- ^ 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』は生年を大永2年(1522年)とするが、『朝日日本歴史人物事典』は大永2年に「?」を付して断定を保留する。文禄5年(1596年)に75歳で没したとしての計算となる。
- ^ 文禄5年は12月に改元が行われており、「慶長元年」ともされる
- ^ 半井家側の史料では、従三位・宮内大輔・修理大夫となり昇殿を許されたとする。
- ^ 瑞策の子の半井成信(3代驢庵)は、父の先例に則り、法印に叙されずに「通仙院」の院号を称した。
- ^ 半井驢庵の屋敷は烏丸中立売上ルにあった。
- ^ 『信長公記』巻三によれば、元亀3年(1572年)3月5日に入京した際に信長は半井驢庵邸に宿泊し、挨拶の者たちで門前が賑わったという。
- ^ 福井藩医半井家の出身である半井朴によれば、これは「正親町天皇の皇后」(典侍の万里小路房子か)の病気を治療した、あるいは出産にたずさわった褒美という。
- ^ 石野によれば、真珠庵には茶室が建てられたとある。
- ^ 京都市観光協会サイトは「寛政15年」と記すがこの年号は存在せず、方丈が建立された寛永15年(1638年)の誤りと見られる。
- ^ 現在は堺区に属する。
出典
- ^ “半井瑞策”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2023年8月8日閲覧。
- ^ “半井瑞策”. 朝日日本歴史人物事典. 2023年8月8日閲覧。
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第六百七十九「半井」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.610。
- ^ 石野瑛 1937b, p. 326.
- ^ “(七二)半井瑞策”. 堺市史 第七巻. 2023年7月19日閲覧。
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第六百七十九「半井」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.611。
- ^ 石野瑛 1937a, p. 97.
- ^ 石野瑛 1937b, p. 320.
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第六百七十九「半井」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』pp.610-611。
- ^ 石野瑛 1937a, p. 98.
- ^ 石野瑛 1937b, p. 329.
- ^ “眞珠庵通仙院”. 国指定文化財等データベース. 2023年8月8日閲覧。
- ^ “真珠庵”.京都市観光協会. 2023年8月8日閲覧。
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