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Nakai Masakiyo
���戸時代初期の大工頭で、京都の同職の初代。

Nakai Masakiyo

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���戸時代初期の大工頭で、京都の同職の初代。
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Gender
Male
Birth
Age
54 years
Family
Nakai Masakiyo
The details (from wikipedia)

Biography

中井 正清(なかい まさきよ、永禄8年(1565年) - 元和5年1月21日(1619年3月7日))は、江戸時代初期の大工。大和国出身。中井正吉の子。通称は藤右衛門。徳川家康に仕え、幕府の建築事業で活躍した。    

経歴

中井氏は、本姓は古代史族の巨勢氏である。祖父巨勢正範は万歳城(大和高田市)の城主万歳則満に仕えていたが、天文7年(1538年)1月2日に筒井頼昭との合戦で討死した。子の正吉と正利は母と共に縁者である法隆寺の四大工の一つ中村家の番匠中村伊太夫に匿われ、そこで大工の技術を学ぶ。その頃に掘った井戸が清水で周囲の人がその井戸を「中井」と呼んだのに伴い中井氏を名乗るようになった。この中井正吉の長男が正清であり、永禄8年に法隆寺で生まれた。

正清が家康に仕える時期は諸説あり、家譜には天正16年(1588年)24歳の歳に伏見で知行200石で召し抱えられ(『寛政重修諸家譜』では天正12年とする)、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦で家康の供を務めて陣羽織を拝領するとともに500石の加増を受けたとされるが、この間の具体的な事跡は不明である。

確実な事跡は関ヶ原合戦以後で、畿内・近江6ヵ国の大工等の支配を命じられ初代大工頭として、以後は徳川家の建築計画に参画する。慶長11年7月13日に大和守従五位下に任じられ、慶長14年(1609年)には1,000石に加増。慶長18年(1613年)には禁裏造営を賞して従四位下に昇進した。義演の日記には正清の昇進は慶長17年の手斧始めの段階で内定していたとあり、正清が家康のお気に入りとしながらも、前例が無く前代未聞かと記している。

正清は家康の出頭人として、家康から「関東の番匠は正清の弟子になるべき」「普請に関しては何事も正清次第」と言われるほどに重用された。

慶長19年の大坂の陣にも従軍し、茶臼山陣城殿舎作事(千波町屋敷を利用)、攻城用の鉄楯や梯子の製作に携わった。また家康の密命により慶長18年に大坂城の絵図を作成したという逸話があるが、実際には冬の陣勃発後に片桐且元が提出した大坂周辺絵図を見た家康より大坂近辺絵図の作成を命じられた。また豊臣方からの悪口として六本鑓の衆恐ろしと武士以外の家康出頭人の名を挙げ、その中に正清の名もあった。

元和5年(1619年)1月21日に近江国水口で死去(55歳)。各地の建築に携わるため東西奔走を余儀無くされた結果、幾度も病気療養をしており過労死と見られる。

実績

中井正清は大工とされるが、現代人の思い描く大工とは異なり、今日の建築士が担う職務も兼務していたことは留意が必要である。日本で設計施工の分離がなされたのは明治時代以降であり、それ以前には建築士に相当する専門職種はなく、大工(主に棟梁)が建築士としての業務も行っていた。現代の建築士の主な職務は、[1]建築設計(意匠設計・構造設計・建築図面の作成等)、[2]工事監理(工事着工後の、工事が設計図書通りに実施されているかの照合作業)で、[3]建築積算(建築図面に基づいて、机上で必要な建築資材数量や、仮設足場数量、各工種別の労働人工数量の算出を行う)も行うことが多いが、正清はいずれにも精通しており、工事を遅滞させることなく遂行することが出来た。

正清が手掛けた主な建築は次のようになる。

  • 慶長9年(1604年)  知恩院御影堂、瀬田橋
  • 慶長11年(1606年) 二条城所々
  • 慶長12年(1607年) 江戸城、後陽成院御所
  • 慶長13年(1608年) 駿府城
  • 慶長15年(1610年) 方広寺大仏殿(京の大仏)
  • 慶長16年(1611年) 新上東門院御所、増上寺
  • 慶長17年(1612年) 名古屋城、駿府城
  • 慶長18年(1613年) 内裏、春日神社
  • 元和元年(1615年)  内裏女御御殿
  • 元和2年(1616年)  久能山東照宮
  • 元和3年(1617年)  日光東照宮、知恩院三門

このように、徳川家関係の重要な建築を担当した。名古屋城では土木工事に大名20名が集められ、建築を担当した作事奉行9名の元で大工棟梁を務めている。しかし作事奉行を飛び越えて幕閣からの直接の指示も度々受けており、一大工の立場を超えた存在であった。また天守も二条城・江戸城・駿府城・名古屋城を手掛け、特に江戸城・名古屋城天守はこれまでにない大型の天守を手掛け、各地に点在する大工の集中と組織化、作業の分離・分担により短期間での完成を実現した。

また小堀政一の知己を得て茶道を修め茶室を建てた。重要文化財の『大工頭中井家関係資料』に158件の数寄屋造りの絵図があり、内訳を見ると茶室の起こし絵図(設計の指示書)が45点を占める。

関連人物

  • 中井正侶(1600年 - 1631年、正清の子、中井家2代) - 大坂城天守、寛永度二条城などを造営。
  • 中井正純(正清の弟、中井家3代正知の後見) - 寛永度京都御所内裏、石清水八幡宮本殿、延暦寺根本中堂、仁和寺五重塔、教王護国寺五重塔などを造営。
  • 中井正知(正純の子で正侶の養子、中井家3代) - 承応度、寛文度、延宝度、宝永度と京都御所内裏を4度造営。
  • 巨勢卓軒(正純の子、正清の孫

脚注

注釈

  1. ^ 大和国でもっとも古い村高帳は『寛永七年高付大和国著聞記』(『庁中漫録』17)である。奈良奉行所の与力・玉井定時(1648年–1720年)が元禄6年、寺社修築の用材を手当てするため幕府領・津藩(現桜井市・旧粟殿村)を訪れ、庄屋の九郎兵衛の持っていた村高帳を借り受けて書写したものが伝わる。その大和国の村高帳を調査した秋永政孝が九郎兵衛家で確めたところ、この原本は見当たらなかった点、記載の内容も表題と奥付の日付が示す寛永7(1630)年頃の状況ではない点が判明。

出典

  1. ^ 堀田, p. 41コマ, 『寛政重修諸家譜』「第307冊」
  2. ^ (大宮 2014, p. 7)
  3. ^ 秋永 1967, 『大和国の村高帳』
  4. ^ 堀田, p. 40コマ, 『寛政重修諸家譜』「第307冊」
  5. ^ 池上 et al. 1995, p. 628
  6. ^ 藤森照信『日本の近代建築上幕末・明治篇』1993年 p.221
  7. ^ 川上貢『近世上方大工の組・仲間』思文閣出版、1997年 p.26
  8. ^ 尾関 2012, p. 3
  9. ^ 堀田, p. 40-42コマ, 「307巻」
  10. ^ 太田
  11. ^ 熊倉 2007, 「中井正清」
  12. ^ 『寛政重修諸家譜』、『テクノクラート小堀遠州 : 近江が生んだ才能』、『小堀遠州茶友録』に記載あり。
  13. ^ 谷 2021a, pp. 30、33, 『遠州』
  14. ^ 川上 1997, p. 27

関連項目

  • 熊倉功夫
  • 小堀遠州
  • 谷直樹

関連文献

脚注に使用しなかったもの。発行順。

  • 東京大学史料編纂所「御文書 家久公十六 二十四通 巻廿一((慶長十七年)正月廿日 山口直友書状(折紙);(慶長十七年)二月朔日 中井正清書状(折紙)ほか)」『島津家文書』東京大学出版会(発売)〈大日本古文書:家わけ ; 第16〉、1942年。ISBN 9784130911443, 9784130911450, 9784130911467、NCID BN05244358。東京帝國大學文科大學史料編纂掛(編)。1612年に書いた手紙を収載。
  • 奈良県立橿原考古学研究所(編)「2 寛永七年(一六三〇)寛永七年高付大和国著聞記」『飛鳥京跡関係史料集. 1 (近世地誌篇)』奈良県教育委員会、1980年、2-5頁。コマ番号0005.jp2-0007.jp2、doi:10.11501/9574576、国立国会図書館/図書館送信参加館内公開。
  • 横田冬彦「中井正清 : 棟梁たちを率いた大工頭」永原 慶二、山口 啓二(代表編者)『講座・日本技術の社会史』別巻1:人物篇 近世、日本評論社、1983年、ISBN 9784535048096、NCID BN00200810
  • 内藤 昌『近世大工の美学 : 環境倫理としての日本古典建築学』中央公論社〈中公文庫な-39-1〉、1997年、ISBN 4122029171、NCID BA32245351。『近世大工の系譜』(1981年、ぺりかん社)の改題改訂。文化の担い手として華々しく活躍した「大工」と近世の建築文化論。平内正信、中井正清ら歴史的な名人の業績をとらえる。
  • 江崎 俊平、志茂田 誠諦「中井正清(建築師)—城郭建築の第一人者」『日本名匠列伝』学習研究社〈学研M文庫〉2001年、ISBN 4059010952、NCID BA55615904
  • 笠井 木々路、伊野 孝行、大澤 研一(監修)「4章 オタクがいっぱい江戸時代(伝説の大工頭中井正清;道頓堀をつくった男成安道頓 ほか)」『モブなのにすごいことしちゃった!日本史の偉人たち』朝日新聞出版(編・発行)、2021年、ISBN 9784023340350、NCID BC1003314X
  • 谷直樹『大工さん展 江戸時代の職人文化とその伝統』竹中大工道具館、2020年。展覧会パンフレット(全32頁)。国立国会図書館書誌ID:030180688、全国書誌番号:23322128。別題『大工さん展 : 竹中大工道具館展覧会図録』。
  • 田坪賢人「一七世紀大坂における作事工匠集団の成立と中井家」『都市文化研究』大阪市立大学大学院文学研究科 : 都市文化研究センター、2021年3月、第23号、29-39頁。NAID 120007026794、doi:10.24544/ocu.20210421-014。ISSN 1348-3293、掲載誌別題『Studies in urban cultures』
大坂城と中井家
  • 谷直樹『中井家大工支配の研究』思文閣出版、1992年、ISBN 4784207074、NCID BN07536955
  • 谷直樹(編者)『大工頭中井家建築指図集 : 中井家所蔵本』思文閣出版、2003年、ISBN 4784211489、NCID BA62985222
  • 谷直樹(編著)『世界遺産をつくった大工棟梁 : 中井大和守の仕事』、谷直樹、新谷昭夫(編集)、大阪市立住まいのミュージアム(監修・発行)。NCID BA89920512
    • 谷直樹「中井大和守の建築指図」、2008年、NCID BB22243685
    • 第2巻。谷 直樹、深田 智恵子「大坂の陣と大坂城・四天王寺・住吉大社の建築」、2012年。NCID BB12319918
    • 第3巻。中井 正知、谷 直樹、山本 紀美、戸柱 美智代「天下人の城大工」、2015年。NCID BB19460175
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