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Nahoko Ukai
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Biography
鵜飼菜穂子(うかい なほこ、1959年10月4日 - )は、愛知県名古屋市出身の競艇選手。登録番号2983。身長163cm。血液型O型。48期。愛知支部所属。師匠は沢田菊司。
来歴
愛知県名古屋市に生まれる。父親は銀行員で転勤が多く、宇都宮市、岐阜市、高山市、豊橋市など中部地方を転々とした。岐阜県立長良高等学校を在学中に奈良女子大学を受験したが不合格となり、卒業後は名古屋市で浪人生活を送るがまたも奈良女子大学の受験に失敗する。2年目の浪人生活中に父親に誘われて訪れた蒲郡競艇場で「男女募集」「平均年収1200万円」と書かれた競艇選手募集のポスターを目にし、生来のスピードへの憧れと「女子大を出ても社会で役に立たない」という思いも手伝い、またこれと相前後して、当時9年ぶりの女子選手としてデビューしていた鈴木弓子に憧れたこともあり、競艇選手を志すようになり、1980年4月に養成所に入所した。
1981年3月、選手登録。デビュー1週間で右腕を骨折し、同年11月に復帰。11月28日、丸亀競艇場で初勝利を挙げる。1989年には優勝回数、勝率、獲得賞金の3部門で女子選手最高の成績を収め、1990年から1992年にかけて女子王座決定戦を3連覇した。
- 1997年9月28日、福岡競艇場で通算1000勝達成。
- 2009年12月14日、丸亀競艇場で通算1500勝達成。
- 2010年10月の選手登録更新時に視力検査をクリアできず一度選手登録を抹消されるが、同期の今村豊の勧めでレーシック手術を受け視力検査をクリアし、翌月に再登録された。
通算優勝回数は女子レーサー史上1位。まだ女子選手がSGに出る機会が少なかった頃からSGに出場しており、強豪相手に2度の準優出を果たしている。
また、2008年、競艇名人戦に女子選手として初めて出場し、1着2本の成績を挙げた。
人物・エピソード
- デビュー戦ではいきなりセンターの3コースに入った。本来新人選手はデビューしてすぐは大外の6コースからレースを覚えていくのが常識であるが、鵜飼の3コース発進は前代未聞の出来事である。
- 上瀧和則・西島義則と同様に典型的なイン屋として知られる。特に女子戦ではかつて前付けから高確率で1コースを奪っていたが、最近は1号艇=枠主張の波に押されて2・3コースで折り合うケースがかなり増えてきている。
- 海野ゆかりが競艇場で鵜飼のレースを見て競艇選手になろうと志した。
- ワイン好きである。ワインセラーが宝物で、「ワインを飲むこと」が健康法と語っている。2006年女子王座決定戦でのチャリティーオークションではワインセラーをサイン入りで出品した。また、2008年11月に名古屋ワイン文化大使に任命された。
- 永井聖美曰く、鵜飼の選手宿舎での過ごし方は「いつも英会話のテープを聴いて、英字の小説を読んでいます」との事。なお、永井が競艇選手を志したきっかけとなった選手でもある。
- 実況アナウンサーからは「インの鬼姫」(北嶋興)・「東海の女王蜂」(内田和男)などと呼ばれている。
主なタイトル
- 女子王座決定戦(1990年・多摩川競艇場)
- 女子王座決定戦(1991年・蒲郡競艇場)
- 女子王座決定戦(1992年・戸田競艇場)
脚注
注釈
出典
参考文献
- 蛭子能収 『競艇入門』 ポケットブック社〈Pocket book 38〉、1992年。ISBN 978-4-341-14038-0。
- 木村幸治 『水上の格闘者たち』 講談社、1992年。ISBN 978-4-06-204715-9。
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