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Nagakata Fujiwara
���安時代末期の公卿、歌人。藤原北家勧修寺流葉室家。従二位・権中納言。勅撰集『千載和歌集』以下に41首入集。子に藤原長隆(五男)、顕瑜、乗願。

Nagakata Fujiwara

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Intro
���安時代末期の公卿、歌人。藤原北家勧修寺流葉室家。従二位・権中納言。勅撰集『千載和歌集』以下に41首入集。子に藤原長隆(五男)、顕瑜、乗願。
was
Gender
Male
Birth
Age
52 years
Family
Spouse:
Children:
Fujiwara no Nagakane
The details (from wikipedia)

Biography

藤原 長方(ふじわら の ながかた)は、平安時代後期の公卿・歌人。藤原北家勧修寺流葉室家、権中納言・藤原顕長の子。官位は従二位・権中納言。藤原俊成の甥で藤原定家の従兄に当たる。

経歴

久安2年(1146年)従五位下に叙爵。久寿2年(1155年)従五位上・丹波守に叙任され、保元元年(1156年)中宮権大進を兼ねる。

保元2年(1157年)正五位下・三河守に叙任。皇后宮権大進・五位蔵人・丹波権守を歴任し、応保元年(1161年)右少弁に任ぜられる。永万元年(1165年)には権左中弁、永万2年(1166年)には左中弁に転じた。仁安2年(1167年)従四位下・左衛門権佐に叙任。嘉応元年(1169年)従四位下に進み、嘉応2年(1170年)従四位上・蔵人頭に叙任された。

嘉応3年(1171年)左宮城使に任ぜられる。安元元年(1175年)右大弁に転任し、安元2年12月(1177年1月)参議に任ぜられて公卿に列した。安元3年(1177年)には従三位・備後権守に叙任。さらに治承3年(1179年)正三位・左大弁に叙任された。治承4年(1180年)高倉天皇の院別当を務め、近江権守を兼任した。

治承5年(1181年)、権中納言。「八条中納言」と称される。寿永2年(1183年)、従二位に昇叙。後に中風により出家。建久2年(1191年)3月10日薨去。享年53。

家集に『按納言長方集』、日記に『禅中記』(尊経閣文庫蔵)がある。

人物

剛直な人柄であり、平清盛の政策にしばしば反対した。福原遷都に異を唱え、後白河法皇の幽閉に反対している。

一方、和歌にも秀でており、元暦元年(1184年)の別雷社後番歌合などに出詠した。『千載和歌集』以下の勅撰和歌集に41首が入集。

  • 百人秀歌(小倉百人一首の原撰本)
    紀の国の 由良の岬に 拾ふてふ たまさかにだに 逢ひ見てしがな

官歴

  • 久安2年(1146年)7月10日:蔵人に補す。元一條院判代官、8月2日:従五位下に叙す(前女御道子未給)。
  • 久寿2年(1155年)9月13日:丹波守に任ず。11月21日:従五位上に叙す(大嘗會丹波國司)。
  • 保元元年(1156年)10月27日:中宮権大進を兼ぬ。
  • 保元2年(1157年)10月22日:正五位下に叙す(造内裏丹波國賞)。12月7日:三河守に遷る。
  • 保元3年(1158年)2月13日:皇后宮権大進に任ず(本宮居上)。10月12日:守を止む。
  • 平治元年(1159年)5月1日:五位蔵人に補す。11月1日:丹波権守に任ず(大嘗會國司除目)。
  • 応保元年(1161年)9月15日:右少弁に任ず。4月19日:権大進を辞す。
  • 永万元年(1165年)6月25日:更に新帝の蔵人に補す。8月17日:権左少弁に転ず。
  • 永万2年(1166年)6月6日:左少弁に転ず。8月27日:右衛門権佐を兼ぬ。9月1日:使宣旨を下さる。
  • 仁安2年(1167年)
    • 正月30日:左中弁に転じ、左衛門権佐に遷る。
    • 7月12日:従四位下に叙す(院平治元御給)。
    • 10月18日:服解す(父)。
    • 12月13日(1168年1月24日):復任す。
  • 嘉応元年(1169年)4月28日:従四位上に叙す(行幸院。院司)。
  • 嘉応2年(1170年)
    • 正月18日:左中弁に転ず。
    • 2月3日:率分所勾当并びに装束使と為す。
    • 3月24日:正四位下に叙す(春日行幸行事賞)。
    • 12月30日(1171年2月6日):蔵人頭に補す。
  • 嘉応3年(1171年)4月7日:左宮城使に任ず。
  • 安元元年(1175年)12月8日:右大弁に転ず。
  • 安元2年12月25日(1177年1月26日):参議に任ず。大弁如元。
  • 安元3年(1177年)正月13日:備後権守を兼ぬ。12月17日:従三位に叙す。
  • 治承3年(1179年)9月5日:正三位に叙す(行幸石清水加茂行幸賞)。10月9日:左大弁に転ず。
  • 治承4年(1180年)2月21日:親院別當に補す。
  • 治承5年(1181年)3月26日:近江権守を兼ぬ。12月24日(1182年1月30日):権中納言に任ず(参議労)。
  • 寿永2年(1183年)12月22日:従二位に叙す。
  • 元暦2年(1185年)6月25日:出家。俄中風に依る。

系譜

  • 父:藤原顕長
  • 母:藤原俊忠の娘
  • 妻:藤原信西の娘
    • 長男:藤原宗隆(1166-1205)
    • 次男:藤原長兼(?-?) - 頼房とも
    • 三男:藤原時長(?-?)
  • 妻:江口遊女木姫
    • 四男:藤原兼高(1179-1239)
  • 妻:藤原師高の娘
  • 生母不明の子女
    • 五男:藤原長隆
    • 男子:顕瑜(?-?)
    • 男子:乗願

脚注

  1. ^ 元木泰雄『平清盛と後白河院』角川選書、2012年、151p。
  2. ^ 『続古事談』
  3. ^ 『玉葉』治承四年十月九日条
  4. ^ または、生母は藤原師高の娘。
The contents of this page are sourced from Wikipedia article. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
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