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Minamoto no Satoru
���安時代前期の貴族。母は山口氏の娘。正四位下・宮内卿、美濃守。子に源済(従五位下)

Minamoto no Satoru

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���安時代前期の貴族。母は山口氏の娘。正四位下・宮内卿、美濃守。子に源済(従五位下)
Gender
Male
Birth
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The details (from wikipedia)

Biography

源 覚(みなもと の さとる)は、平安時代前期の貴族。仁明天皇の皇子。官位は正四位下・宮内卿。

経歴

仁明天皇の皇子として生まれるが、源朝臣姓を与えられ臣籍降下する。貞観11年(869年)従四位上に直叙され、翌貞観12年(870年)次侍従に任ぜられる。その後、右京大夫を務めると共に、但馬守・美濃守と地方官を兼ねる。またこの間、貞観17年(875年)清和天皇が儒学者らと共に『群書治要』を読んだ際に講席に侍し、貞観18年(876年)清和天皇が譲位した際には左馬寮の監護を務めている。

陽成天皇が即位した翌年の元慶元年(877年)正四位下・宮内卿に任ぜられ、元慶3年(879年)8月に送伊勢斎内親王使を務めるが、同年10月20日卒去。享年31。最終官位は宮内卿正四位下。

人物

聡明鋭敏な質で、幅広い学識があった。有能な官吏として賞賛されたという。

官歴

『日本三代実録』による。

  • 貞観11年(869年) 正月7日:従四位上(直叙)
  • 貞観12年(870年) 12月29日:次侍従
  • 貞観17年(875年) 4月25日:見右京大夫兼但馬守
  • 貞観18年(876年) 11月28日:見兼美濃守
  • 元慶元年(877年) 10月18日:宮内卿、美濃守如元。11月21日:正四位下
  • 元慶3年(879年) 8月19日:送伊勢斎内親王使。10月20日:卒去(宮内卿正四位下)

系譜

『尊卑分脈』による。

  • 父:仁明天皇
  • 母:山口氏の娘
  • 生母不明の子女
    • 男子:源済
    • 男子:源脩
    • 男子:源都

脚注

  1. ^ 『日本三代実録』貞観17年4月25日条
  2. ^ 『日本三代実録』貞観18年11月28日条
  3. ^ 『日本三代実録』元慶3年10月20日条

出典

  • 武田祐吉、佐藤謙三訳『読み下し 日本三代実録 上巻』戎光祥出版、2009年
  • 『尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年
The contents of this page are sourced from Wikipedia article. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
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