peoplepill id: masao-takagi
MT
Japan
1 views today
1 views this week
Masao Takagi
Japanese baseball player

Masao Takagi

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese baseball player
Places
Work field
Gender
Male
Birth
Place of birth
Kyōto Prefecture, Japan
Age
28 years
The details (from wikipedia)

Biography

高木 正雄(たかぎ まさお 1916年 - 1944年6月18日)は、日本の元アマチュア野球選手。京都府出身。ポジションは投手。

来歴・人物

平安中学(現・龍谷大学付属平安中学校・高等学校)在学中は、甲子園に6回出場(内訳は春3回〔1932年,1933年,1935年〕。夏3回〔1931年,1933年,1935年〕。)この内、1933年夏は1人で投げきり準優勝に貢献。決勝では、大会屈指の好投手・吉田正男(中京商。この試合の前日に延長25回を完投していた。)との投げ合いになったが、1-2で惜敗した(この結果、中京商は史上唯一の3連覇を果たした)。準優勝時のメンバーに岡村俊昭、富永嘉郎(共に、後に南海でプレー)、宇野錦次(後に阪急,西鉄でプレー)がいる。スローカーブを得意とし、沢村栄治(京都商〔現・京都学園高等学校〕)のライバルでもあった(1934年春・夏は京都府予選で沢村に敗れている)。

平安中学卒業後、1936年に慶應義塾大学に進学。六大学野球でも活躍し、1939年秋季リーグで慶大の13季ぶりの優勝の立役者となった。1941年には主将を務めた。大学時代の通算成績は17勝12敗だった。

1942年春、慶大を卒業。その後応召され、1944年6月18日にビルマ・モガウンにて、インパール作戦に従軍中にグルカ兵の急襲に遭い、戦死した。享年28。

東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名が刻まれている。

脚注

  1. ^ 戦没野球選手慰霊(沢村栄治記念館のページ) ※高木正雄の項がある。
  2. ^ 5大会以上甲子園に出場した選手(ベンチ入りも含む)※6回出場の欄に高木正雄の名前がある。
  3. ^ センバツ・全国選手権 京都 歴代代表校・成績
  4. ^ 尚、この試合の敗戦で、チームは西本願寺(学校の経営母体)の大谷光明(大谷光瑞の実弟に当たる)からお叱りを受け、当時の空本福松監督が辞任するという事態も引き起こした。
  5. ^ 戦歴(慶應義塾体育会野球部のHP)
  6. ^ ◆記録集(投手)◆(慶應義塾体育会野球部のHP)※●通算勝利数(慶大)で19位である。
  7. ^ 戦没野球人モニュメント-モニュメントに刻まれた戦没野球人一覧(野球殿堂博物館のページ)
The contents of this page are sourced from Wikipedia article. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
Lists
Masao Takagi is in following lists
comments so far.
Comments
From our partners
Sponsored
Credits
References and sources
Masao Takagi
arrow-left arrow-right instagram whatsapp myspace quora soundcloud spotify tumblr vk website youtube pandora tunein iheart itunes