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Japan
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Masao Tajima
Japanese politician

Masao Tajima

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese politician
Places
Work field
Gender
Male
Age
72 years
Education
Hitotsubashi University
The details (from wikipedia)

Biography

田島 正雄(たじま まさお、1890年(明治23年)5月8日 - 1962年(昭和37年)8月17日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。大阪商船副社長、大阪商工会議所会頭、貴族院勅選議員。

経歴

奈良県添上郡奈良町角振新屋町11番地(現奈良市)で、田島基光の五男として生まれる。1913年(大正2年)7月、東京高等商業学校を卒業した。

卒業後、宇治川電気に入社した。語学の才があり勧誘を受け、1916年(大正5)12月に大阪商船に転じた。あふりか丸事務員、ロンドン在勤員、ケープタウン在勤員、ニューヨーク支店長を務め、1937年(昭和12年)1月、本社遠洋課長に就任した。1939年(昭和14年)1月、取締役に昇進し、専務取締役を経て、1944年(昭和19年)11月、副社長に就任した。この間、1942年(昭和17年)4月、船舶運営会理事長に就任し、同総裁(1943.10.1-1944.6.7)、運輸通信省海運総局海運局長(1944.2.26-6.6)を務め、戦時下の海運統制、運営に協力した。その他、原田汽船取締役、朝鮮郵船取締役、日本海汽船取締役、国際運輸取締役、山際運輸取締役なども務めた。

1946年(昭和21年)3月22日、貴族院勅選議員に任じられ、同和会に属して活動し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。

1946年9月、大阪商工会議所会頭に就任したが、公職追放となり同年12月に会頭と大阪商船副社長を辞任した。

1949年(昭和24年)10月、第一汽船(現第一中央汽船)社長に就任し、会長を経て1953年(昭和28年)5月に退社した。1956(昭和31年)3月、大阪国際見本市委員会理事長兼事務局長に就任し、1960年(昭和35年)6月まで在任して貿易の振興に尽力した。

その後、病のため療養をしていたが、1962年8月、心不全のため伊丹市民病院で死去した。

著作

  • 述『東アフリカの事情』〈講演倶楽部 no.7〉阪神実業協会、1926年。
  • 『東アフリカ経済事情調査報告書』大阪商船、1926年。
  • 『阿弗利加の旅』大阪商船、1942年。
  • 述『船舶運営会に就て』生産拡充研究会、1942年。
  • 『未完成の第二次大戦』創元社、1956年。

脚注

注釈

  1. ^ 祖父は郡山藩家老。「歴代会頭物語 (最終回)」45頁。

出典

  1. ^ 『斯の人を』229-232頁。
  2. ^ 「歴代会頭物語 (最終回)」44-45頁。
  3. ^ 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』兵庫92頁。
  4. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議議員名鑑』134頁。
  5. ^ 『人事興信録 第14版 下』タ13頁。
  6. ^ 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、146頁。
  7. ^ 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、31頁。
  8. ^ 『官報』第5757号、昭和21年3月26日。
  9. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、613頁。公職追放の該当事項は「大阪商船専務副社長」。
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