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Japan
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Makoto Kawahara
Japanese judge

Makoto Kawahara

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese judge
Places
Work field
Gender
Male
Birth
Age
84 years
Education
Nagoya University
Nagoya, Aichi Prefecture, Japan
The details (from wikipedia)

Biography

川原 誠(かわはら まこと、1940年〈昭和15年〉11月17日 - )は、日本の元裁判官。愛知県出身。名古屋大学卒。

経歴

第20期司法修習生(司法修習地は名古屋)。1965年(昭和40年)9月の司法試験に合格し、1966年(昭和41年)4月 - 1968年(昭和43年)4月まで司法修習を受けていた。

1968年(昭和43年)4月5日に金沢地方裁判所判事補として赴任し、2005年(平成17年)11月17日をもって定年退官した。

  • 1971年(昭和46年)4月5日:金沢地裁判事補・金沢簡易裁判所判事
  • 1971年(昭和46年)4月15日:名古屋家庭裁判所判事補・名古屋簡易裁判所判事
  • 1972年(昭和46年)4月10日:名古屋地方裁判所判事補・名古屋簡裁判事
  • 1974年(昭和49年)4月1日:福島家庭裁判所いわき支部・福島地方裁判所いわき支部判事補、いわき簡易裁判所判事
  • 1977年(昭和52年)4月1日:津地方裁判所・津家庭裁判所判事補、津簡易裁判所判事
    • 1978年(昭和53年)4月5日:津地裁・津家裁判事
  • 1981年(昭和56年)4月1日:富山地方裁判所・富山家庭裁判所判事、富山簡易裁判所判事
  • 1985年(昭和60年)4月1日:名古屋高等裁判所判事
  • 1990年(平成2年)4月1日:東京高等裁判所判事
  • 1993年(平成5年)4月1日:名古屋高裁判事
    • 1994年(平成6年)4月1日:名古屋地裁部総括判事・名古屋簡裁判事
  • 1999年(平成11年)7月12日:福井地方裁判所・福井家庭裁判所所長
  • 2001年(平成13年)2月28日:津地裁・津家裁所長、津簡裁判事
  • 2002年(平成14年)3月10日:名古屋高裁部総括判事

主な担当訴訟

  • 蛸島事件の第一審判決(金沢地方裁判所七尾支部) - 1969年6月3日、被告人に無罪判決を言い渡した。
  • 富山・長野連続女性誘拐殺人事件の第一審(富山地裁) - 1981年4月以降、浅野正樹(転出)に代わって右陪席裁判官を務めたが、判決前に名古屋高裁へ転出(後任は山田知司)。1988年(昭和63年)2月9日の判決公判は、大山貞雄(裁判長)、大谷直人(右陪席裁判官)・村山浩昭(左陪席裁判官)の3人が担当していた。
  • 勝田清孝事件の控訴審(名古屋高裁) - 裁判長は吉田誠吾。1988年2月19日の判決公判で、第一審(名古屋高裁)が言い渡した死刑判決を支持し、被告人側の控訴を棄却する判決を言い渡した。
  • プロ野球脱税事件の第一審(名古屋地裁) - 判決公判(1998年1月20日)で裁判長として、ともに当時中日ドラゴンズ所属の山田洋(懲役10月・執行猶予3年、罰金450万円)、鳥越裕介(懲役10月・執行猶予3年、罰金400万円)に対し有罪判決。
  • ドラム缶女性焼殺事件の控訴審判決(2003年3月12日) - 名古屋高裁の裁判長として、第一審(名古屋地裁)が言い渡した死刑判決を支持し、被告人側の控訴を棄却した。
  • 2003年11月18日に愛知県丹羽郡扶桑町で発生した強盗殺人事件の控訴審判決(2005年2月3日) - 名古屋高裁の裁判長として、第一審(名古屋地裁一宮支部)の懲役15年判決(2004年9月8日)を破棄自判し、求刑通り無期懲役を言い渡した。
  • 大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の控訴審判決(2005年10月14日) - 名古屋高裁の裁判長として、死刑を求刑された被告人3人のうち、1人を死刑・2人を無期懲役とした第一審の名古屋地裁判決(2001年7月9日)を破棄自判し、被告人3人全員に求刑通り死刑判決を言い渡した。

脚注

注釈

  1. ^ 法定刑である無期懲役求刑に対し、自首を認定して減軽したもの。

出典

  1. ^ 公人社 1998, p. 138.
  2. ^ 裁判官情報 川原誠”. 新日本法規WEBサイト. 新日本法規 (2021年3月9日). 2021年6月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月27日閲覧。
  3. ^ 『中日新聞』2005年10月15日朝刊第二社会面36頁「遺族癒えぬ悲しみ あの子は帰らない」(中日新聞社)
  4. ^ 佐木隆三 1991, p. 227.
  5. ^ 佐木隆三 1991, p. 299.
  6. ^ 『北日本新聞』1988年2月5日朝刊第二社会面20頁「富山、長野連続誘拐殺人 8年目の審判 12 裁判官 30回超す出張尋問 8人がかりで公判193回 氷点下の歩行検証」(北日本新聞社 社会部:斉藤寿記者、忠田憲美記者)
  7. ^ 『中日新聞』2005年10月15日朝刊一面1頁「元少年3人に死刑判決 連続リンチ殺人 『役割に大差ない』名高裁 2人無期の一審破棄」「死刑積極適用に動く」「判決理由の骨子」「控訴審の認定事実」(中日新聞社)
  8. ^ 『中日新聞』2017年4月5日朝刊第二社会面26頁「『少年と罪 木曽川・長良川連続リンチ殺人事件』 6『議論尽くし 全員極刑』」(中日新聞社)

関連項目

  • 日本の裁判所
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