peoplepill id: m-namae
Japanese illustrator and children's literature writer
M. Namae
The basics
Quick Facts
Intro
Japanese illustrator and children's literature writer
A.K.A.
Emu Namae
Namae Masanori
Places
Work field
Gender
Male
Place of birth
Shinjuku-ku
Place of death
Meguro-ku
Age
70 years
The details (from wikipedia)
Biography
来歴・人物
東京都新宿区信濃町に生まれる。1961年:千代田区立永田町小学校(現・千代田区立麹町小学校)卒業。千代田区立麹町中学校入学。1964年:慶應義塾志木高等学校入学。1967年:慶應義塾大学法学部に入学。
- 1969年
- 初の個展『空』を開催。
- 1970年
- イラストレーターとしてデビュー。当時のレギュラー雑誌は『女学生の友』、『中学二年コース』など。
- 1973年
- 初の児童向け単行本『みつや君のマークX』を渡辺茂男と共著で出版。イラストレーターに専念するため大学を中退。
- 1974年
- 絵本作家太田大八の勧めで絵本作家集団『童美連』に入会。初の絵本『ざっくり ぶうぶう がたがた ごろろ』大型絵本『機関車』など絵本作家としての活動を開始。この後、絵本作家として失明までに約60冊の児童図書を手がける。
- 1986年
- 完全に失明。文筆家に転じ、初の長編童話『宇宙からきたネコ博士』の執筆を開始。
- 1988年
- 初の長編童話『UFOリンゴと宇宙ネコ』(『宇宙からきたネコ博士』から改題)を出版。
- 1990年
- イラストレーターとしての活動を再開。第2回障害者アートバンク大賞を受賞。童話『ナクーラ伝説の森』を出版。
- 1991年
- 失明後初の詩画集『夢の翼をはばたいて』を出版。
- 1992年
- 「サンリオ美術賞」を受賞。
- 1998年
- ニューヨークで個展を開催。アメリカの子供服メーカー、カーターズ社に社外アーティストとして採用される。
- 2000年
- 月刊誌『さかえ』に『失明地平線』連載開始。ジョン・レノン・ミュージアムでジョン・レノンの追悼公式コンサート(現在の「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ」の原形)に出演する。
- 2001年
- 個展開催。絵本『幼い瞳のふるさとカメラ』を出版。慶應義塾連合三田会のチケットおよびプログラムの美術を担当。再びジョン・レノン・ミュージアムでの公式追悼コンサートに出演。歌手おおたか静流の朗読コンサートにミュージカル童話『ミズムシの歌』執筆。樹原涼子と『野に咲く花』を発表。
- 2003年
- 日本児童文芸家協会賞特別賞を受賞。
主な著作
挿絵
- 『ざっくり ぶうぶう がたがた ごろん』(文:かんべじゅんきち、偕成社、1977年)
- 『なんでもでんわ』(文:ふなざきよしひこ、旺文社、1977年)
- 『たぬき先生大じっけん』(文:寺村輝夫、旺文社、1978年)
- 『ピンチ・ピンチ・ピンチ』(文:坂本伊都子、PHP研究所、1978年)
- 『おしゃべりランドセル』(文:手嶋悠介、太平出版社、1979年)
- 『タヌ子先生と4人の名探偵』(文:しかたしん、ポプラ社、1979年)
- 『ネズミのたたかい―アメリカの昔話』(訳:亀井俊介、小学館、1979年)
- 『ぼくたちあいこ』(文:黒木まさお、太平出版社、1980年)
- 『たぬき先生だいぼうけん』(文:寺村輝夫、旺文社、1980年)
- 『はしれおんぼろきかんしゃ』(文:鶴見正夫、PHP研究所、1981年)
- 『オットはかせのおばけやさん』(文:寺村輝夫、金の星社、1981年)
- 『オットはかせのおふろやさん』(文:寺村輝夫、金の星社、1981年)
- 『大きくなれ竜太』(文:平方浩介、学校図書、1982年)
- 『名たんていピンチ博士』(文:寺村輝夫、学校図書、1982年)
- 『寺村輝夫童話全集』(文:寺村輝夫、ポプラ社、1982年)
- 13 ゆかいなおじさん
- 17 子どもの時間
- 『ピンチ博士の大ぼうけん』(文:寺村輝夫、ポプラ社、1983年)
- 『ピンチ博士 アフリカへとぶ』(文:寺村輝夫、ポプラ社、1984年)
- 『しょうぼうじどうしゃドコデモくん』ポプラ社、1984年)
- 『みつやくんのマークX』(文:渡部茂男、あかね書房、1984年)
- 『まほうのけしごむ』(文:岡信子、佼成出版社、1985年)
- 『ねずみのよねいり』(文:福島のり子、教育画劇、1986年)
- 『ポテトサラダのすきな王さま』(文:名倉有子、教育画劇、1988年)
- 『二人三脚プラスワン―僕らはいつもファンタジー』(文・絵:エムナマエ、佼成出版社、1996年)
- 『あしたのねこ』(文:きむらゆういち、金の星社、2006年)
- 『ありがとう』(文:絵門ゆう子、PHP研究所、2006年)
- 『まちがしあわせになったよる』(文・絵:エムナマエ、毎日新聞社、2007年)
その他
脚注
- ^ “イラストレーター エムナマエの作品展 見えない色のファンタジー”. Internet Museum.丹青社 (2004年). 2019年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月18日閲覧。
- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.474
- ^ 「全盲のイラストレーター、エムナマエさん死去 70歳」『時事ドットコム』(時事通信)、2019年3月13日。2019年3月18日閲覧。,オリジナルの2019-3-13時点によるアーカイブ。
- ^ 「全盲のイラストレーター、エムナマエさん死去 70歳」『毎日新聞』、2019年3月13日。2019年3月18日閲覧。,オリジナルの2019-3-17時点によるアーカイブ。
- ^ Henri Kenji OIKAWA (2019年3月17日). “「全盲のイラストレーター」エムナマエさんが死去”.日仏共同テレビ局フランス10. 2019年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月18日閲覧。
- ^ 「エムナマエ氏死去 イラストレーター」『山陽新聞』、2019年3月13日。2019年3月18日閲覧。,オリジナルの2019-3-17時点によるアーカイブ。
外部リンク
- エム ナマエ公式サイト
- 全盲の画家・エムナマエさんインタビュー - YouTube - 日仏共同テレビ局France10
The contents of this page are sourced from Wikipedia article.
The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
Lists
M. Namae is in following lists
By field of work
comments so far.
Comments
Credits
References and sources
M. Namae