peoplepill id: liu-guyan-1
Person, CBDB = 147591
Liu Guyan
The basics
Quick Facts
The details (from wikipedia)
Biography
本来の表記は「柳䛒」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。 |
柳 䛒(りゅう べん、542年 - 610年)は、中国の隋の文人。字は顧言。本貫は河東郡解県。
経歴
南朝梁の都官尚書柳暉(柳惔の子)の子として生まれた。南朝梁に仕えて、著作佐郎を初任とした。南朝梁が建国されると、侍中となり、国子祭酒・吏部尚書を兼ねた。南朝梁が取りつぶされると、柳䛒は隋に任用されて開府・通直散騎常侍の位を受け、内史侍郎に転じた。官僚仕事の才能がなく、晋王諮議参軍に転じた。晋王楊広(後の煬帝)は文雅を好み、諸葛潁・虞世南・王冑・朱瑒ら100人あまりを招いて学士として任用していた。柳䛒は晋王の学士の筆頭となり、晋王の師友として処遇された。
仁寿元年(601年)、柳䛒は東宮学士となり、通直散騎常侍の位を加えられ、検校洗馬をつとめた。皇太子楊広に親任されて、寝室に出入りすることも許された。酒を好み、多弁で機知に富んでおり、楊広にますます気に入られた。『法華玄宗』20巻を撰して奏上した。
仁寿4年(604年)、煬帝が即位すると、柳䛒は秘書監に任じられ、漢南県公に封じられた。大業6年(610年)、江都への巡幸に従い、病没した。享年は69。大将軍の位を追贈された。諡は康といった。著書に『晋王北伐記』15巻があり、また『柳䛒集』10巻があった。
伝記資料
- 『隋書』巻58 列伝第23
- 『北史』巻83 列伝第71
The contents of this page are sourced from Wikipedia article.
The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
Lists
Liu Guyan is in following lists
By field of work
By work and/or country
comments so far.
Comments
Liu Guyan