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Kōzō Ueno
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Gender
Male
Birth
Death
Age
73 years
The details (from wikipedia)
Biography
上野 耕三(うえの こうぞう、1908年 - 1981年)は、映画監督、プロデューサー。
人物
記録映画社を創立。脚本・監督を担当した『即席ラーメン』(1970年)で電通賞映画広告電通賞。監督した『オートメーション ―限りなき前進―』(1968年)で日本産業映画コンクール奨励賞受賞。『実用映画』を提唱した。教育映画製作者連盟(現・社団法人映像文化製作者連盟)理事を務めた。
略歴
- 1908年、長崎県諫早市目代町生まれ。日本美術学校洋画科中退後、日本プロレタリア映画同盟に参加。
- 1932年、『労農団結餅』を監督。
- 1939年、横浜シネマ商会に入社。
- 1941年、滋賀県蒲生郡の島小学校の独自の教育を描いた『村の学校』(横浜シネマ)を脚本・演出。戦後、東宝教育映画部で丸山章治監督のアニメ映画『ムクの木の話』撮影担当。
- 1950年、記録映画社を創立する。
- 1980年、記録映画社から『回想録』刊行。
フィルモグラフィ
- 『村の学校』(1941年、横浜シネマ)脚本・監督
- 『和具の海女』(1941年、横浜シネマ)監督
- 『ムクの木の話』(1947年、東宝教育映画部)撮影
- 『村の新地図』(1950年、記録映画社)監督
- 『刈干切り唄』(1959年、記録映画社)脚本・監督
- 『首都東京』(1964年、記録映画社)古川良範との脚本・監督
- 『姫路城』(1965年、記録映画社、配給=大映)製作・監督
- 『流氷の町』(1961年、記録映画社)製作
- 『真珠誕生』(1956年、新理研映画)脚本
- 『姫路城』(1966年、記録映画社)監督
- 『伝統工芸 −技と人−』(1966年、記録映画社)監督
- 『即席ラーメン』(1970年、記録映画社)脚本・監督
- 『富士山—その植物社会—』(1973年、記録映画社)脚本・監督
- 『オートメーション ―限りなき前進―』(1968年、記録映画社)製作
ビブリオグラフィ
- 『映画の認識』(第一芸文社、1940年)
- 『映画教育講座』(全日本映画教育研究会編、四海書房、1942年)に「文化映画の構成・演出」「文化映画シナリオ『村の学校』」所収
- 『文化映画シナリオ10人集』(逓信博物館編・映画出版社、1942年)「文化映画の脚本について」「羅州丸」所収
- 『キネマ旬報』(1949年11月、通号69)桑野茂共著「ニュース短編」寄稿。
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