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Japanese surveyor
Kiyohiko Tate
The basics
Quick Facts
Intro
Japanese surveyor
Places
Work field
Gender
Male
Place of birth
Kuwana, Mie Prefecture, Kansai region, Japan
Place of death
Kuwana, Mie Prefecture, Kansai region, Japan
Age
78 years
The details (from wikipedia)
Biography
館 潔彦(たて きよひこ、1849年(嘉永2年) - 1927年(昭和2年)6月4日)は、明治時代に活躍した陸地測量師(陸軍技師)。舘清彦(たちきよひこ)として紹介されることもある。現在の三重県出身。穂高岳(前穂高岳は初登頂)をはじめ、263もの一等三角点を選点したことで知られる。測量誌「測量」2005年6月号の表紙では、柴崎芳太郎とならんで描かれるなど明治期の特筆すべき測量技術者である。
経歴
嘉永2年に桑名藩士・館淳夫の長男として伊勢国桑名にて生まれる。幼名釘次郎。明治維新後に19歳で上京し、岸俊雄義塾苟新館の門下生となり英語及び数学を学ぶ。明治5年10月3日工部省に出仕、測量四等少手となる。測量業務が内務省に移管するのとともに移籍し、明治17年7月15日、測量業務が参謀本部に移管するのに伴い内務四等属から陸軍十一等出仕、明治20年12月28日、陸軍六等技師(奏任官)となる。
明治22年4月17日陸地測量師に任ぜられ、明治31年12月28日高等官六等。明治36年1月28日に休職を命ぜられることとなり、明治38年に退官。
昭和2年に郷里の桑名で没した。墓所は桑名市の照源寺。
栄典
- 1892年(明治25年)4月1日 - 従七位
- 1894年(明治27年)6月19日 - 勲六等瑞宝章
- 1897年(明治30年)7月10日 - 正七位
- 1901年(明治34年)6月27日 - 勲五等瑞宝章
- 1902年(明治35年)10月20日 - 従六位
脚注
参考文献
- 山村基毅 『はじめの日本アルプス - 嘉門次とウェストンと館潔彦と』 バジリコ、2008年。ISBN 9784862380920。
関連項目
- 三角点
- 点の記
- 日本の三角測量の歴史
- 陸地測量部
- 大日本帝国陸軍文官一覧
- 舘豊夫: 孫、三菱自動車工業社長、会長等を歴任
- 柳本通義: 義弟、札幌農学校第1期生、台湾恒春庁長等を歴任
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