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Japan
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Keisaku Murakami
Japanese military personnel

Keisaku Murakami

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese military personnel
Places
Work field
Gender
Male
Place of birth
Tochigi Prefecture, Japan
Age
59 years
The details (from wikipedia)

Biography

村上 啓作(むらかみ けいさく、1889年(明治22年)6月16日 - 1948年(昭和23年)9月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。

経歴

栃木県出身。農業・村上角次の四男として生れる。陸軍中央幼年学校予科、中央幼年学校本科を経て、1910年5月、陸軍士官学校(22期)を優等で卒業し、同年12月、歩兵少尉に任官し近衛歩兵第3連隊付となる。1916年11月、陸軍大学校(28期)を優等で卒業した。

陸軍技術審査部付(軍事調査部)、歩兵第3連隊付(ロシア出張)、ロシア駐在、陸大教官、兼参謀本部員、参謀本部員、陸大教官、陸軍省軍務局課員(軍事課)、歩兵第34連隊長、陸軍歩兵学校教導隊長、陸軍省兵務課長などを歴任し、二・二六事件当時は軍事課長であった。陸大教官を経て、1937年8月、陸軍少将に進級。

関東軍司令部付を経て、1939年10月、陸軍中将となる。日中戦争では第39師団長として出征し、宜昌作戦に従事した。陸軍科学学校長、参謀本部付、総力戦研究所長、陸軍公主嶺学校長、関東軍司令部付などを歴任し、1944年11月、第3軍の最後の司令官に就任し、延吉で終戦を迎えた。戦後、シベリア抑留となり、1948年9月、クラスノゴルスクの収容所で病死した。

年譜

  • 1910年5月28日 - 陸軍士官学校(22期恩賜)卒
  • 1916年11月25日 - 陸軍大学校(28期恩賜)卒
  • 1937年8月2日 - 陸軍少将
  • 1939年10月2日 - 陸軍中将・第39師団長
  • 1944年11月22日 - 第3軍司令官
  • 1948年9月17日 - クラスノゴルスクの収容所で病死

栄典

  • 1942年(昭和17年)3月9日 - 勲一等旭日大綬章

評価

陸大47期首席で、陸軍及び陸上自衛隊で要職を務めた高山信武は、村上から直接教えを受けたことはないものの、その著作や令名にしばしば触れており、村上を昭和初期における日本兵学の最高権威と称しても過言ではないとしている。

家族親族

  • 妻 村上晴 木越安綱(陸軍中将男爵)の娘
  • 義兄弟 木越専八(陸軍少将)・木越二郎(陸軍大佐)

著作

  • 『戦争要論』 陸軍大学校将校集会所、1915年
復刻版、東京都防衛協会編、1968年。
  • 『統帥参考』 陸軍大学校編、1932年 
復刻版 『統帥綱領・統帥参考』 防衛教育研究会編、田中書店 1983年。

脚注

  1. ^ 『官報』第4548号「宮廷録事 - 勲章親授式」1942年3月10日。
  2. ^ 上法快男編、高山信武著、『続・陸軍大学校』芙蓉書房 1978年
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