Kazuhiro Kono
Quick Facts
Biography
河野 和洋(こうの かずひろ、1974年12月26日 - )は高知県出身の元プロ野球選手、野球指導者。帝京平成大学硬式野球部監督などを歴任。
経歴
河野が一躍有名になったのが、1992年8月に開催された第74回全国高等学校野球選手権大会(阪神甲子園球場)に明徳義塾高等学校のエースとして出場したことである。当時はエースだが背番号は8番で、同年8月16日に行われた2回戦(対星稜高等学校戦)で、監督の馬淵史郎の指示によって、星稜の4番・松井秀喜を5打席連続で敬遠した。
明徳義塾高等学校から専修大学へ進学すると野手に専念するようになり、3年までに東都大学野球連盟2部リーグで通算16本塁打を放つ。4年春から1部リーグへ昇格すると主将としてチームを牽引、同年秋にはベストナインに輝くなど、4年間で21本塁打を含む通算111安打を記録した。河野はプロ志望届を提出するが同年のドラフト会議では指名されなかった。大学時代の同期には、広島東洋カープへ入団した黒田博樹がいる。
専修大学卒業後は社会人野球・ヤマハへ進み、2年半ほどプレーした。1999年からは母校・専修大学のコーチを務めていたが、その後もプロ入りを模索しながらノーザンリーグのセントポール・セインツ、クラブチームの千葉熱血MAKINGでもプレー、特に千葉熱血MAKINGでは選手兼任監督として所属しつつ、大学職員として開智国際大学野球部のコーチも兼任していた。2016年11月5日に現役を引退。NPB加盟のプロ野球球団への入団は遂に叶わなかった。
現役引退後は「指導者として甲子園に出たい」と述べていたが、当時、海外のプロ経験者は学生野球資格回復研修制度の対象外で研修会に参加することが出来なかった。この制度は2018年に規約が改正され、資格を回復した2019年2月に千葉県大学野球連盟2部リーグ(2022年からは東都大学野球連盟所属)・帝京平成大学硬式野球部のコーチに就任、同年11月には監督に就任した。
2022年9月12日に泥酔して都内のマンションで器物損壊事件を起こしたため、同月30日付で帝京平成大学の嘱託職員を依願退職し、監督も退任していたことが10月5日にわかった。
その後、2023年度から活動開始予定の帝京科学大学・東京西キャンパスで創部の硬式野球部の選手集め等、立ち上げに尽力。同部は山梨県初の女子硬式野球部の活動も2024年度から開始予定である。
脚注
- ^ 「松井を5連続敬遠した投手「観客より監督の方が怖かった」 - NEWSポストセブン」『NEWSポストセブン』、小学館、2015年8月9日、2019年2月18日閲覧。
- ^ 「“5連続敬遠"河野和洋さん 夢は指導者で甲子園「松井のような選手育てたい」- スポニチ Sponichi Annex 野球」『スポーツニッポン』、2018年12月15日。2019年2月18日閲覧。
- ^ 「松井を5敬遠した河野和洋氏が帝京平成大コーチ就任 - アマ野球 : 日刊スポーツ」『日刊スポーツ』、2019年2月7日。2019年2月18日閲覧。
- ^ 「【復刻】甲子園騒然!星稜・松井に明徳が5連続敬遠 - 高校野球 : 日刊スポーツ」『日刊スポーツ』、2018年7月27日。2019年2月18日閲覧。
- ^ 矢崎良一「観客席から「殺すぞ」 松井秀喜「5打席連続敬遠」は“事件"だった【夏の甲子園100回! ベストシーン】 - 文春オンライン」『文春オンライン』、文藝春秋、2018年8月11日、2019年2月18日閲覧。
- ^ 門田隆将「松井秀喜“敬遠"が生んだ国民的論争 - 「夏の甲子園」百年史に刻まれた三大勝負 - デイリー新潮」『デイリー新潮』、新潮社、2018年8月2日、2019年2月18日閲覧。
- ^ “「松井5敬遠」の投手、大学の監督になって思うこと”. スポーツブル. (2020年1月31日). https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASN103V51N1ZUTQP019.html 2020年4月27日閲覧。
- ^ 「松井秀喜氏“5敬遠"の河野氏「甲子園で馬淵さんと対戦したい」指導者転身へ/野球/デイリースポーツ online」『デイリースポーツ』、2018年12月15日。2019年3月16日閲覧。
- ^ “職歴と学歴”. 本人Facebook. 2020年4月27日閲覧。
- ^ 「明徳で松井5打席敬遠 河野兼任監督が現役引退発表 - スポニチ Sponichi Annex 野球」『スポーツニッポン』、2016年11月6日。2019年2月18日閲覧。
- ^ 楊順行 (2016年10月15日). “2016 ドラフト候補の群像/その8 小竹一樹[シティライト岡山]”. Yahoo!ニュース 個人. https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/a663bef20048983f173e3781efc5f7cf07c3b830 2020年4月27日閲覧。
- ^ “1992年夏、物議を醸した『松井秀喜』甲子園で5打席連続敬遠”. ミドルエッジ (2017年7月19日). 2020年4月27日閲覧。
- ^ 『帝京平成大学硬式野球部の監督に河野和洋氏が就任』(プレスリリース)帝京平成大学、2019年11月22日。https://www.u-presscenter.jp/article/post-42610.html。2020年3月25日閲覧。
- ^ 栗山司 (2020年2月12日). “「松井5敬遠」の河野和洋さんが帝京平成大の監督に「やるからには5年で日本一」”. 4years. #学生スポーツ. https://4years.asahi.com/article/13109982 2022年5月9日閲覧。
- ^ “帝京平成大・河野和洋監督が謹慎処分 泥酔し器物破損事件…松井秀喜5敬遠の投手 すでに依願退職”. スポーツ報知. (2022年10月7日). https://hochi.news/articles/20221007-OHT1T51185.html?page=1 2022年10月30日閲覧。
- ^ 「帝京科学大が男女の硬式野球部創部 「松井を5連続敬遠した男」河野和洋氏が立ち上げ尽力」『Sponichi Annex』、2023年1月28日。2023年2月11日閲覧。
- ^ “【始動しました!】”. Facebook (2023年4月6日). 2023年6月18日閲覧。
- ^ 「帝京科学大 新設野球部監督に専大玉名元監督の相良光紘氏が就任 ゴジラ5敬遠の河野和洋氏が立ち上げ尽力」『Sponichi Annex』、2023年7月7日。2023年8月31日閲覧。
関連項目
- 松井秀喜5打席連続敬遠