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Japan
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The basics

Quick Facts

Places
Gender
Male
Place of birth
Kagawa Prefecture, Japan
Age
61 years
Education
Kwansei Gakuin University
The details (from wikipedia)

Biography

聴濤 克巳(きくなみ かつみ、1904年(明治37年)1月11日 - 1965年(昭和40年)8月30日)は日本のジャーナリスト、労働運動家。息子は元参議院議員の聴濤弘。

生涯

香川県生まれ。関西学院大学卒業後、朝日新聞社に入社。朝日新聞記者として論説委員などを歴任。戦後の1945年に日本共産党入党。朝日新聞労働組合委員長(初代)にも就任した。1946年には全日本新聞通信労働組合委員長(初代)と全日本産業別労働組合会議(産別会議)議長(初代)に就任した。

二・一ゼネストでは伊井弥四郎とともに最高責任者の1人になったが、1947年1月20日に右翼団体・新鋭大衆党による襲撃を受け全治1ヶ月の重傷を負った。

1949年の第24回衆議院議員総選挙で日本共産党から衆議院議員に当選するが、翌1950年のレッドパージによる公職追放を受け失職。中国に渡航して北京機関のメンバーとなり、自由日本放送の業務にも従事した。その後日本共産党代表としてヨーロッパで活動をおこなった。1958年に帰国し、アカハタ編集局長、党幹部会員および書記局員を務めた。

1964年の春闘で公共企業体等労働組合協議会(公労協)の4.17ゼネストを「挑発行為」と非難したため、指導責任を問われて自己批判し、中央委員に降格された。

脚注

  1. ^ 聴濤 克巳』 - コトバンク
  2. ^ 『昭和史事典』毎日新聞社〈別冊1億人の昭和史〉、1980年5月、90頁。
  3. ^ 伊藤律『伊藤律回想録 - 北京幽閉二七年』文藝春秋社、1993年、p31

関連項目

  • 飯米獲得人民大会
現存しない
日本共産党
機関・役職
歴代幹部
大会
綱領・テーゼ等
歴史
戦前
事件・闘争等
キーワード
戦後初期
事件・闘争等
分裂期の各組織
分裂組織
キーワード
61年綱領確定後
事件・闘争等
キーワード
かつての上部団体
(現在は自主独立)
党外関係
現存しない
加盟・参加
団体側が党の指導性を規定
他国党との関係
機関紙誌
政権論等
主催行事
関連・友好団体
その他
機関・役職
歴代幹部
大会
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歴史
戦前
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戦後初期
事件・闘争等
分裂期の各組織
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キーワード
61年綱領確定後
事件・闘争等
キーワード
かつての上部団体
(現在は自主独立)
党外関係
現存しない
加盟・参加
団体側が党の指導性を規定
他国党との関係
機関紙誌
政権論等
主催行事
関連・友好団体
その他
事件・闘争等
キーワード
戦後初期
事件・闘争等
分裂期の各組織
分裂組織
キーワード
61年綱領確定後
事件・闘争等
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キーワード
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加盟・参加
団体側が党の指導性を規定
他国党との関係
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