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Japanese painter (1785-1835)
Kanō Tanshin
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Biography
狩野 探信 (かのう たんしん、天明5年(1785年) - 天保6年12月18日(1836年2月4日))は、日本の江戸時代後期に活躍した狩野派の絵師。江戸幕府御用絵師の鍛冶橋狩野家の7代目。先祖に当たる鍛冶橋狩野家2代目の狩野探信守政と区別するため、探信守道とも呼ばれる。弟に祐清邦信、息子は探淵。
略伝
狩野探牧守邦の長男。幼名は千千代、字は清夫、名は守道、号に興斎。百官名は宮内卿、のち式部卿。寛政5年(1793年)7月、部屋住みながら御目見え。寛政8年(1796年)父の隠居に伴い家督を継ぐ。この頃の鍛冶橋狩野家は、同じ奥絵師の木挽町狩野家や中橋狩野家と比べて明らかに劣勢であったが、文政8年(1825年)法眼に叙され、亡くなる前年の天保5年(1834年)御医師並になる。享年51。弟子に沖一峨、深川水場狩野家の了承賢信、探水守常など。
探信守道は家を再興するため、祖先の狩野探幽に学び、その没骨的彩色法を復活させようとした。一方、江戸時代の狩野派が忌避していた風俗画も積極的に手がけ、浮世絵風の作品も残している。そのため現存する探信守道の作品は専らやまと絵で、僅かな水墨画の遺品も古画の模写が殆どである。
作品
作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 落款・印章 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
牛図 | 絹本墨画 | 1幅 | 113.1x152.0 | 個人 | 1799年(寛政11年) | 款記「狩野探信十五歳筆」/「守道之印」白文方印・「十日画弌水五日画弌石」朱文方印 | もとは衝立か。やや苦労した跡が見えるものの、15歳の作品とは思えないほど巧みである。しかし、背景の松などはあまりにも老練で、父探牧が筆を入れたとも取れる。「十日画弌水五日画弌石」は、杜甫の詩「戯題王宰画山水図歌」の一節。一つの川を描くのに10日かけ、1つの石を描くのに5日かけるということから、どんなモチーフを描くのにもいい加減にしない、という意味で、若き探信の作画姿勢が示されている。 |
夏秋花鳥図屏風 | 紙本金地著色 | 六曲一双 | 各158.7x356.8 | 静岡県立美術館 | 19世紀前半 | ||
山水図 | 紙本墨画淡彩 | 六曲一双 | 各156.2x349.2 | 静岡県立美術館 | 19世紀前半 | 款記「探信藤原守道筆」/「清夫」朱文方印 | 狩野探幽筆「竹林七賢・香山九老図屏風」の裏面。 |
浮世美人風俗図 | 紙本著色金砂子散 | 3幅対 | 各72.2x31.4 | 板橋区立美術館 | 款記「倣又平筆 探信齋守道」 | 箱蓋裏に探信守道の筆跡で「三幅対 又平筆 弘前公之所蔵 三村氏之応求図之 探信斎藤原守道」。本作は伝岩佐又兵衛筆の風俗画の模写で、原本は薩摩藩島津家旧蔵。ただ守道の箱書きから、この頃には弘前藩津軽家に移動していたようだ。現在は根津美術館蔵。 | |
荊和璞養蚕山水図[1][2][3] | 絹本著色 | 3幅対 | 各119.7x45.5 | ボストン美術館 | 各幅に款記「藤原守道筆」 | ||
高士観梅図 | 絹本墨画淡彩 | 1幅 | 120.6x52.5 | ボストン美術館 | |||
富士の巻狩図屏風 | 六曲一隻 | 馬の博物館 | 文政期以降か | 元は六曲一双屏風の片割れ | |||
井出玉川・大堰川図屏風 | 紙本金地著色 | 六曲一双 | 各166.0×358.8 | 静岡県立美術館 | 法眼期 | ||
琴棋書画図[4][5][6] | 絹本著色 | 3幅対 | 96.6x34 | ボストン美術館 | 法眼期 | 彦根屏風を翻案 | |
西王母図 | 絹本著色 | 1幅 | 100.5x35.8 | ボストン美術館 | 法眼期 | 款記「法眼探信斎筆」 |
脚注
参考文献
- 薄田大輔 「鍛冶橋狩野家七代目狩野探信守道にみる江戸狩野派と風俗画」『美術史』第173冊、美術史學会、2012年10月29日、p.32-47
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