Jozaburo Iimura
Quick Facts
Biography
飯村 丈三郎(いいむら じょうざぶろう、1853年6月30日(嘉永6年5月24日) - 1927年(昭和2年)8月13日)は、日本の政治家・実業家・教育者。
経歴
東海道常陸国の真壁郡上妻村黒駒(旧下妻藩内、現在の茨城県下妻市黒駒)の名主の子供として、1853年(嘉永6年)5月24日に誕生した。幼名(縫三郎)
1864年(元治元年)、天台宗東叡山千妙寺、亮天僧正に預けられる。
1877年(明治10年)9月、茨城県第6区10小区の戸長に任命される。
1878年(明治11年)、茨城県第36中学区の学区取締役兼衛生取締役に任命される。
1880年、茨城県において自由民権運動に加わる。森隆介らと共に「同舟社」を設立「筑波山の会」で中心的役割を務める。
1881年(明治14年)4月に茨城県会議員に初当選、2回の議長を経て明治23年まで務める。
1883年、県令人見寧、川崎八右衛門に請われ、頭取として第六十二国立銀行(現在の常陽銀行)の経営再建を行う。
1887年、水戸鉄道の創立請願を提出。取締役として就任。
1889年1月、水戸線開通。
1890年(明治23年)7月1日、茨城3区から第1回衆議院議員総選挙に当選し、その後も2回当選した。
1891年(明治24年)からは、地方新聞のいはらき新聞(現在の茨城新聞社)の第2代社長を務めた。そのほかにも、実業家として関わった多数の企業、事業がある。
晩年は教育を志し、1927年(昭和2年)には水戸藩藩校の弘道館の流れを汲む水戸学院を引き継ぐ形で、私的財産を投入して旧制私立茨城中学校(現在の茨城中学校・高等学校)を設立した。
その後、東京府大手町でタクシーにひかれ、1927年(昭和2年)8月13日に死去した。
顕彰など
2003年(平成15年)には飯村の生誕150年を迎え、同年5月17日には茨城県水戸市で、茨城県下妻市、株式会社茨城新聞社、学校法人茨城(茨城中学校・茨城高等学校の設置法人)などを中心として「飯村丈三郎生誕150年記念講演会・シンポジウム」が開かれた。
2015年(平成27年)、飯村丈三郎研究会(会長大津順一郎)が発足し、没後90年にあたる、2017年9月30日に茨城県水戸市にある、常陽藝文センターホールにて「シンポジウム飯村丈三郎〜彼がいたから現在がある〜」が開催された(参加者152名)。さらに2018年9月30日に茨城県水戸市にある、水戸生涯学習センター大講義室で「2018シンポジウム飯村丈三郎〜彼がいたから現在がある〜(水戸鉄道と石材業を中心に)」が開催予定、さらに丈翁の生誕地である下妻市でも2018年11月11日、茨城県下妻市の市立図書館2階映像ホールにて「シンポジウム飯村丈三郎〜彼がいたから現在がある〜 inしもつま」が開催予定である。
著作
- 『飯田軍蔵伝 尽忠護国塔』 (発行 弘文社 大正十五年五月十日)
- 四恩の説
関連項目
- 下妻市 - 茨城県
- 第六十二銀行 - 常磐銀行- 常陽銀行
- 自由民権運動
- 水戸線 - 水戸鉄道
- 茨城新聞
- 茨城中学校・高等学校
- 京成電鉄
関連人物等
- 川崎八右衛門
- 野口勝一
- 斉藤斐
- 岡倉天心
- 関戸覚蔵
- 戸田利平
- 内藤耻叟
- 本多文雄
- 横瀬夜雨
- 根本正