peoplepill id: izumikawa-kanei
IK
Japan
1 views today
1 views this week
Izumikawa Kanei
Japanese painter

Izumikawa Kanei

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese painter
Places
Work field
Gender
Male
Birth
Place of birth
Shuri, Naha, Okinawa Prefecture, Japan
Death
Age
77 years
The details (from wikipedia)

Biography

尚穆王の御後絵。向元瑚筆、泉川寛英助手。

泉川 寛英(いずみかわ かんえい、1767年11月21日(乾隆32年10月1日) - 1844年7月20日(道光24年6月6日))は、琉球王国の画家。唐名は慎 思九。童名は真蒲戸、本名は乗信。

概要

首里に生まれる。父は泉川筑登之親雲上寛邦。1785年(乾隆50年)、19歳で絵師となり、筑登之座敷となる。向元瑚の助手として御後絵(国王の肖像画)を多く製作した。また、山水図・水墨画・花鳥図に秀でた。沖縄県立博物館・美術館に山水図が所蔵されている。

『沖縄文化の遺宝』所載の作品

鎌倉芳太郎『沖縄文化の遺宝 写真編』(岩波書店)に、鎌倉が撮影した次の作品の写真が、慎思九名義で掲載されている。

  • 『首里那覇泊全景図』(p. 284 - 285) - 垣花方向から展望した首里・那覇・泊一帯を鳥瞰的構図法で描く。沖縄戦で焼失。
  • 『那覇綱引図』(p. 286 - 291) - 63歳の時の作で、元は薩摩藩のために描かれたもの。鎌倉芳太郎撮影の同作品の写真が、沖縄海洋博にて縦7メートル・横14メートルの巨大パネルで展示され、高く評価された。
  • 『闘鶏尾花之図』(p. 292)
  • 『闘鶏尾花祖父之図』(p. 293) - 66歳の時の作。闘鶏が盛んであった首里にあって、王宮にて飼われていた名鶏・尾花を描いたもの。
  • 『闘鶏はなたれ之図』(p. 294、部分p. 295) - 現存・沖縄美ら島財団所蔵。
  • 『野国名馬図』(p. 295) - 晩年の作と推定される。王宮で流行していた琉球競馬の馬を描いたもの。

脚注

  1. ^ 鎌倉芳太郎『沖縄文化の遺宝 本文編』岩波書店、p. 210
  2. ^ 泉川寛英 - 『最新版 沖縄コンパクト事典』琉球新報社、2003年(琉球新報ウェブサイト)
  3. ^ 新城俊昭『教養講座 琉球・沖縄史』東洋企画 p. 176
  4. ^ きょうから新収蔵展 首里城公園 - 『琉球新報』、2016年4月22日配信、2017年11月13日閲覧。
  5. ^ 鎌倉芳太郎『沖縄文化の遺宝』(正編)p. 211
The contents of this page are sourced from Wikipedia article. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
Lists
Izumikawa Kanei is in following lists
comments so far.
Comments
From our partners
Sponsored
Credits
References and sources
Izumikawa Kanei
arrow-left arrow-right instagram whatsapp myspace quora soundcloud spotify tumblr vk website youtube pandora tunein iheart itunes