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Japanese daimyō
Iwaki Nobutaka
The basics
Quick Facts
Intro
Japanese daimyō
Places
Work field
Gender
Male
Birth
Age
88 years
Family
The details (from wikipedia)
Biography
岩城 宣隆(いわき のぶたか)は、江戸時代初期の大名。出羽亀田藩2代藩主。久保田藩士多賀谷家初代。
生涯
天正12年(1584年)、佐竹義重の四男として生まれる。当初は多賀谷重経の養嗣子となり、長兄・義宣より偏諱を受けて多賀谷宣家(たがや のぶいえ)と名乗る。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後に多賀谷家が改易されたため、実家の佐竹家に戻る。
慶長7年(1602年)、長兄・義宣が出羽への転封となると養父・重経と共にそれに従った。久保田藩重臣となると、初め仙北白岩城主、後に山本檜山城主となる。なお、宣家が岩城家を相続した際に、多賀谷家の名跡は佐竹一門・戸村義国の次男・彦太郎隆経が相続した。
寛永5年(1628年)8月、亀田藩主で甥の岩城吉隆(佐竹義隆)が久保田藩主で兄・佐竹義宣の養嗣子となったため、その跡を継いで藩主となる。同年9月19日、江戸幕府2代将軍である徳川秀忠や、その子・家光に御目見している。
寛永11年(1634年)、宣隆に改名する。寛永20年(1643年)、山形藩主・保科正之が陸奥国会津藩に転封となる際、戸沢政盛・六郷政勝と共に山形城番を務めた。検地を行うなどして藩政の基礎を固め、明暦2年(1656年)7月25日に家督を嫡子の重隆に譲って隠居した。
寛文12年(1672年)、死去。享年89。
系譜
父母
- 佐竹義重(実父)
- 宝寿院(実母) - 伊達晴宗の娘
- 小野崎義昌(養父)
- 多賀谷重経(養父)
正室、継室
- 珪台院(正室) - 多賀谷重経の娘
- 顕性院(継室) - 真田信繁の五女
子女
- 岩城重隆(長男) 生母は顕性院
- 岩城隆家
- 娘
養子
- 多賀谷隆経 - 戸村義国の次男
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