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Isobe Kaneyoshi
30 Jul 1842 - 4 Jun 1917

Isobe Kaneyoshi

The basics

Quick Facts

Intro
30 Jul 1842 - 4 Jun 1917
Work field
Gender
Male
Birth
Positions
member of the House of Peers
The details (from wikipedia)

Biography

磯辺包義

磯辺 包義(いそべ かねよし、1842年7月30日(天保13年6月23日) - 1917年(大正6年)6月4日)は、明治から大正時代前期の大日本帝国海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。貴族院勅選議員。幼名は虎之助

経歴

熊本藩士磯辺謙叟の長男として、豊後国大分郡鶴崎村(鶴崎町、鶴崎市を経て、現在の大分市鶴崎)に生まれる。1856年(安政3年)5月、家督を相続する。のち本籍を東京府に置いた。幼年より海軍を志し、1868年(明治元年)「摂津艦」乗組となり、翌年艦長代理に進んだ。ついで「飛龍丸」艦長を経て、1871年(明治4年)海軍大尉に進み、「千代田形」艦長となる。間もなく「第一丁卯」艦長に転じ、1873年(明治6年)「大坂丸」艦長を経て、1874年(明治7年)4月、少佐に進んだ。さらに翌年の1875年(明治8年)「春日丸」艦長に転じ、1877年(明治10年)西南戦争で軍功を挙げ、1880年(明治13年)「清輝」艦長に補され、中佐に進級する。

1882年(明治15年)「迅鯨」艦長を経て、1883年(明治16年)海軍省規程局出勤を発令され、1884年(明治17年)「海門」艦長となる。1885年(明治18年)横須賀屯営長兼予備艦総理、1886年(明治19年)「金剛」艦長を経て、同年4月、大佐に進んだ直後の6月に「浪速」艦長を発令され、1888年(明治21年)4月、「高千穂」艦長兼常備小艦隊参謀長、1889年(明治22年)4月、佐世保軍港司令官兼佐世保鎮守府造船部長に任ぜられた。

翌年の1890年(明治23年)9月、フランスにて起工した「厳島」の回航事務取扱委員長となり、竣工とともに初代艦長となった。1891年(明治24年)5月からのフランス出張ののち、同年11月に帰朝すると、呉軍港司令官に転じ、1893年(明治26年)5月26日、海軍少将に進み、同時に予備役編入となった。この間、軍法会議判士長などを務めた。

予備役編入後の同年、日本郵船取締役に推挙され、さらに1896年(明治29年)1月31日、貴族院議員に勅選された。ほか、摂津航業社長を務めた。その後、1900年(明治33年)後備役に編入し、1905年(明治38年)退役した。晩年は神奈川県足柄下郡小田原町十字(現在の小田原市)に住んだ。貴族院議員在任中に死去した。

栄典

位階
  • 正四位
勲章等
  • 勲二等瑞宝章

親族

  • 弟:磯辺弥一郎(国民英学会創立者)
  • 婦:りう(長男民弥の妻、明治生命保険創立者・阿部泰蔵の二女)
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