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Irokawa Saburobee
The basics
Quick Facts
Places
Gender
Male
Place of birth
Chiba Prefecture, Japan
Age
62 years
Positions
member of the House of Representatives of Japan
The details (from wikipedia)
Biography
色川 三郎兵衛(いろかわ さぶろべえ、天保13年11月2日(1842年12月3日) - 明治38年(1905年)2月21日)は、日本の醤油醸造家、政治家。衆議院議員(2期)。旧名・海保幸八郎。諱は英俊。「三郎兵衛」は土浦色川家当主が代々名乗った名で、色川三郎兵衛(英明)は色川三中を参照。
略歴
上総国武射郡生まれ。 慶応3年(1867年)、土浦の醤油醸造家、色川三中の養嗣子(養孫)となり、岳父の三郎兵衛(貞興)から家督を受け継ぎ、三郎兵衛を襲名。明治16年(1883年)にはオランダの万国博覧会(アムステルダム国際植民地輸出博覧会)に出品し金牌を得た。政界にも進出し、県会議員を経て、明治23年(1890年)、立憲改進党から立候補し当選。衆議院議員を2期務めた。在任中、鉄道会社に働きかけて日本鉄道海岸線(現 常磐線)の敷設計画を変更させ、当時水害に悩まされていた土浦市の霞ヶ浦側に、線路の盛土を湖岸堤の代わりとして作らせたほか、逆流防止のため川口川閘門、田町川閘門の建設に出資するなど、土浦の水害対策に尽力した。なお、川口川閘門、田町川閘門は彼の死後、明治39年(1906年)に完成した。
大正7年(1918年)、従五位を追贈された。
家族
- 父は上総国堺村屋形(現・千葉県山武郡横芝光町)の割元格名主の海保長左衛門。
- 兄(長左衛門の三男)は伊能節軒の娘の婿となり、伊能三郎左衛門家(伊能忠敬の直系)の夫婦養子となり、伊能景文と名乗った。
- 妻のやいは、先代色川三郎兵衛(貞興)の長女。先代は下総国川原代村出身で旧名を木村政吉といい、従兄の色川三中の養子に入り、三中の娘の嫁ぎ先・柴田家の娘を妻とし、代々当主が名乗っていた三郎兵衛を三中没後に襲名した。
- 次男の色川俊次郎(1883年生)は慶応大学理財科を出て三菱銀行に入り、のち三井信託銀行副社長。
- 三男の色川三男(1886年生)は、科学技術者。東京帝国大学農科大学農芸化学科を卒業後、鹿児島高等農林学校講師を経て、朝鮮総督府中央試験所技師、農商務省技師、内務省社会局技師となり、国際労働総会政府代表などを務めた。
- 長女・よしは湯本武比古の妻。
- 三女・とくは伊沢多喜男の妻。その次男に飯沢匡。
- 色川武大や色川大吉も親類にあたる。武大は色川三中の弟・色川御蔭(1815-1873)の曾孫。
脚注
- ^ 『贈従五位色川三中翁略伝』湯本武比古、1920、p15-16
- ^ 土浦発未来への伝承(169)色川三中『片葉日記』黒船情報を集めた土浦の町人広報つちうら、土浦市、2021.6.1
- ^ 色川三郎兵衛君『常陽人物寸観』高橋刀川、明37.7
- ^ 『色川三中の研究 伝記編』中井信彦、塙書房 1988年、p459
- ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.46
- ^ 徳川封建社会の研究 野村兼太郎 日光書院 昭和16年、p281-282
- ^ 文化の開拓者 伊能忠敬翁1伊能忠敬研究44号、2006年
- ^ 『茨城県史』茨城県史刊行会、1933年、p185
- ^ 色川三男『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
- ^ 『茨城県史』茨城県史刊行会、1933年、p41
- ^ 飯沢匡『権力と笑のはざ間で』57頁
- ^ 『色川大吉著作集』第4巻217頁
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