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Hoshina Masaaki

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Biography

保科正昭

保科 正昭(ほしな まさあき、1883年(明治16年)10月1日 - 1947年(昭和22年)10月11日)は、明治から昭和期の技師、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧名・盛之助。

経歴

旧飯野藩主・保科正益の三男として生まれる。父の死去に伴い、1888年3月14日、子爵を襲爵した。

学習院を経て、1909年7月、東京帝国大学理科大学鉱物学科を卒業。同年10月、主猟官に就任。以後、朝鮮総督府技師、農商務技師、東京帝室博物館嘱託、帝室林野管理局御用掛、地質調査所鉱物陳列館主任、京城工業専門学校講師などを務めた。

1925年7月、貴族院子爵議員に選出され、研究会に所属して活動し、1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した。その他、内閣委員、大東亜省委員、外務省委員、軽金属製造事業委員会委員などを務めた。

親族

  • 妻 保科武子(北白川宮能久親王第三王女、1911年4月結婚)
  • 長男 保科光正(旧名・正虎、外務事務官、大東亜省秘書官。1945年4月1日阿波丸事件に巻き込まれ死亡)
    • 妻 順子(ゆきこ、徳川家正三女、のち離縁)

脚注

  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻、473-474頁。
  2. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』53頁。
  3. ^ 『華族畫報』下、552頁。
  4. ^ 『人事興信録』第14版 下、ホ2頁。
  5. ^ 『官報』第1410号、明治21年3月15日。
  6. ^ 『東京帝国大学一覧 明治42-43年』東京帝国大学、1910年、学士及卒業生姓名281頁。
  7. ^ 『官報』第3869号、大正14年7月16日。
The contents of this page are sourced from Wikipedia article. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
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