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HY
Japan
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Hiroshi Yoshida
Japanese educator

Hiroshi Yoshida

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese educator
Places
Work field
Gender
Male
Age
64 years
Education
Hosei University
Tokyo, Japan
The details (from wikipedia)

Biography

由田 浩(よしだ ひろし、1913年2月23日 - 1977年10月3日)は日本の教育者。由田学園理事長、横浜事件の関係者。

略歴

富山県礪波郡長源寺に生まれる。法政大学法文学部法律学科を卒業し、古河電気工業に入社する。そのかたわら1940年4月に昭和塾に入り、1941年3月に卒業する(同期に浅石晴世、板井庄作、黒木利克、武田満作、武田豊、学生組には永末英一ら総勢59名)。同年11月に昭和塾が解散したのを機に、12月に高木健次郎、浅石晴世、板井庄作らの昭和塾関係者とともに研究会の再編成を考え、細川嘉六にその研究会プログラムを相談する。

1941年10月、昭和塾友以外の知人らとともに「政治経済研究会」グループを発足させ、そのメンバーとして研究活動に携わる。同年10月、古河電工足尾鉱業所へ小旅行を行う。旅行の目的は、田中正造の足尾鉱毒闘争をえがいた大鹿卓の『渡良瀬川』を読んで、ハイキングを兼ねて足尾に行こうというものであった。1943年9月9日、この足尾への小旅行が共産主義再建運動の謀議の「足尾会議」としてフレームアップされ、高木健次郎、勝部元、小川修、森数男、板井庄作、白石芳夫、和田喜太郎らとともに「横浜事件」(「政治経済研究会」グループ)で神奈川県特別高等警察に検挙される。1945年8月30日、第一審判決で懲役2年執行猶予3年の刑に処せられ、翌31日に釈放される。戦後は由田学園を設立し、学園の理事長を務める。

再審

2008年3月14日、最高裁において、治安維持法の廃止と大赦を理由に、有罪無罪の判断をしないまま裁判を打ち切る「免訴」とした判決が確定する。再審において、元被告の遺族や弁護団は「無辜の救済」という再審制度の理念にてらし、実体審理をつくしたうえで無罪とすべきと求める。しかし、2006年2月の第一審・横浜地裁では「免訴理由がある場合は、実体審理も有罪無罪の判断も許されない」とする1948年の最高裁大法廷の判例を踏襲し、免訴判決を言い渡し、第二審・東京高裁では「免訴判決に被告側は控訴できない」として控訴を棄却。

参照

参考

  • 『横浜事件の人びと』中村智子(田畑書店、1979)
  • 『近代日本社会運動史 人物大事典』(日外アソシエーツ)
The contents of this page are sourced from Wikipedia article. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
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