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HO
Japan
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Hiroshi Okumura
Japanese watercolorist and metalworker

Hiroshi Okumura

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese watercolorist and metalworker
Places
Work field
Gender
Male
Place of birth
Fujisawa, Kanagawa Prefecture, Japan
Place of death
Kanto Central Hospital for Public School Teachers, Tokyo, Japan
Age
74 years
The details (from wikipedia)

Biography

奥村 博史(おくむら ひろし、1889年(明治22年)10月4日 - 1964年(昭和39年)2月18日)は、日本の洋画家、工芸家。妻は社会運動家の平塚らいてうである。

生涯

1889年(明治22年)、藤沢市に奥村市太郎の長男として生まれる。藤沢小学校、逗子開成中学校を卒業。

1909年(明治42年)、画家を志すことを父に伝えるも許されず、家出をして上京した。大下藤次郎主宰の日本水彩画研究所に入学。1911年(明治44年)に大下が亡くなると油絵に転向した。

1912年(明治45年)、巽画会に油絵『青いリンゴ』を出品した。

1914年(大正3年)に婦人運動家の平塚らいてうと恋愛結婚し話題となる。第一回二科展に油絵『灰色の海』を出品し入選した。

1925年(大正14年)、日本水彩画会会員となったほか、成城学園の美術講師に就任した。

1930年(昭和5年)頃から自宅アトリエでデッサンの勉強会を毎週開くようになり、武者小路実篤らと知り合う。

1932年(昭和7年)に交詢社4階で自身の油絵の個展を開催した。

1933年(昭和8年)、富本憲吉の勧めで自作した銀指輪を国展に出品し受賞。これにより国画会会員となる。これ以来、画業とともに指輪の製作も行うようになる。

1936年(昭和11年)に日本水彩画研究所時代からの旧友:赤城泰舒とともに中国へ写生旅行へ向かい、上海市滞在中に油絵『臨終の魯迅像』(上海魯迅記念館蔵)を描いた。

1964年(昭和39年)死去。

人物

武者小路実篤らが創設した共同体「新しき村」に美術部として所属していた。

平塚らいてうと恋に落ちた際、自ら身を引くことを選び平塚に「若い燕は池の平和のために飛び去って行く」という手紙を送ったことが、年上の女性に養われる若い男性のことを表す「若いツバメ」という言葉の由来となった。

作品

油絵

  • 『青いリンゴ』
  • 『灰色の海』
  • 『臨終の魯迅像』

工芸

  • 新交響楽団のバッヂ
  • 文化学院の卒業記念クラスリング

書籍

  • 自伝『めぐりあい』
  • 『奥村博史素描集』
  • 『奥村博史わたくしの指輪』

脚注

  1. ^ 20世紀日本人名事典. “奥村 博史とは”. コトバンク. 2022年3月15日閲覧。
  2. ^ 奥村博史 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2022年3月15日閲覧。
  3. ^ 若い燕 | ルーツでなるほど慣用句辞典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス”. 情報・知識&オピニオン imidas. 2022年3月15日閲覧。
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