peoplepill id: hayatake-torakichi
HT
Japan
1 views today
1 views this week
Hayatake Torakichi
Japanese acrobat

Hayatake Torakichi

The basics

Quick Facts

Intro
Japanese acrobat
Places
Gender
Male
The details (from wikipedia)

Biography

大坂下り 早竹虎吉「石橋」二代目歌川国貞画 1857年
早竹虎吉「江戸の花」歌川国芳画。1857年

早竹 虎吉(はやたけ とらきち、生年未詳 - 慶応4年1月15日(1868年2月8日)は、幕末期の曲芸師、軽業師である。京都生まれ。桜綱駒司(のちの駒寿)とともに幕末の軽業二名人と言われた。

人物・生涯

幼少期については、はっきりとした記録が残っていない。寺町誓願寺で軽業渡世に励んだ後、1842年(天保13年)に京都道場の芝居にて軽業。1843年(天保14年)、大坂へ下って興行し、10年以上に渡って活躍した。

1857年(安政4年)正月、江戸に下って両国で興行を始めるや否や、たちまち人気を博すようになった。歌舞伎仕立ての衣装を身にまとい、独楽や手品の手法を取り入れた豪快な舞台を披露。およそ2カ月の間に錦絵30数点が出版され、たちまちのうちに売れたという。曲差し(きょくざし)(竿から手を離して肩だけで支え、三味線を曲弾きするという非常に高度な芸)や石橋(しゃっきょう)(足で長い竿を支え、竿に人や動物を載せる芸)と呼ばれる、長い竿を足や肩で支える曲芸を得意とした。

慶応3年7月25日(1867年8月24日)、約30名の一座を率いて、虎吉は横浜を出発しアメリカに渡航した。翌月にサンフランシスコに上陸。サンフランシスコのメトロポリタン劇場を振り出しに、サクラメントやニューヨーク等アメリカ各地を興行した。

フィラデルフィアのアカデミー・オブ・ミュージックでの興行(慶応3年12月30日(1868年1月24日)終了後、突如体調を崩し、慶応4年1月15日(1868年2月8日)に心臓病で客死した。その数日前より、一座を海外へ連れ出した外国人手配師の契約不履行などを訴え、揉めていたようである。その後、明治7年(1874年)に実弟が二代目早竹虎吉を襲名した。

技の例

脚注

  1. ^ 『歴史公論』第 6 巻1980、348p
  2. ^ 天保十二年(1841)~天保十四年(1843)五見世物興行年表
  3. ^ 『江戸まるわかり事典』大石学出版社 時事通信出版局, 2005
  4. ^ 藤岡屋日記にも、前日から予約しないと見物できないと記録がある
  5. ^ BS-TBS 「謎解き!江戸のススメ」 2013年2月25日放送分より
  6. ^ 同じ船には、後に内閣総理大臣となる高橋是清も乗船していたと伝わる
  7. ^ 慶応四年/明治元年(1868年・戊辰)一見世物興行年表
  8. ^ 北川央『おおさか図像学: 近世の庶民生活』 103 ページ

関連項目

  • 軽業 (落語) -「早竹虎吉の門人」という触れ込みの軽業師が登場する
  • 浜碇定吉 - 幕末から明治初期に海外渡航した軽業師
The contents of this page are sourced from Wikipedia article. The contents are available under the CC BY-SA 4.0 license.
Lists
Hayatake Torakichi is in following lists
comments so far.
Comments
From our partners
Sponsored
Credits
References and sources
Hayatake Torakichi
arrow-left arrow-right instagram whatsapp myspace quora soundcloud spotify tumblr vk website youtube pandora tunein iheart itunes